東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月7日
『カリフォルニエ』
アレッサンドロ・カッシゴリ/ケイシ―・カウフマン(監督/ 脚本/ 編集)
©2021 TIFF ケイシ―・カウフマン監督(左)、アレッサンドロ・カッシゴリ(右)
イタリア南部。ナポリ近郊の小都市に住むモロッコ人移民の少女ジャミラは、同じ街に住むボクサー、イルマ・テスラに憧れているが、貧しい身の上が彼女の人生を嫌が応にも現実的に生きるように強いていく。移民の苛酷な現実、義務教育のドロップアウト、未成年の労働搾取といった社会問題的な題材を描きながらも、ところどころにユーモアをちりばめ、決して裁くことをしない優しい眼差しを宿した本作。
共同監督のカッシゴリとカウフマンは共にフィレンツェっ子だが、前者はベルリンでドキュメンタリーを制作していた経験が、後者はアルジャジーラで記者を務めていたバックボーンがある。
――おふたりは以前、東京五輪2020で銅メダルを獲得したイタリアの女性ボクサー、イルマ・テスタのドキュメンタリーを撮っています。その撮影中に、本作でジャミラ役に抜擢するハディージャ・ジャアファリに出会ったのですね?
アレッサンドロ・カッシゴリ監督(以下、カッシゴリ監督):われわれはトッレ・アンヌンツィアータでイルマのドキュメンタリーを撮っていて、彼女と同じジムに通うハディージャを見つけました。『Butterfly』(18・日本未上映)─―イルマの愛称をそのまま題に拝借しました─―がいろんな映画祭に招待されて、行く先々で「ボクサーになる夢を語るあの女の子のことをもっと知りたい」と言われて、われわれも興味を搔き立てられたのです。それでふたたびあの街に戻り、少女に会いに行きました。
――映画は終始ジャミラを追いかけ、ところどころドキュメンタリーではないかと思えるパートもあります。ドキュメンタリーとして撮り始めたのでしょうか。
ケイシー・カウフマン(以下、カウフマン監督):本作の企画はハディージャありきで始まり、最初は構想もストーリーも形式も決まっていませんでした。ただ彼女を撮りたい。彼女には何か特別なものがあると感じていたんです。
カッシゴリ監督:そうして始めた企画ですから、冒頭にある9歳の彼女の映像は実は『Butterfly』からのショットです。その後1年間、彼女を観察しながらどんな映画が作れるのか考え続け、取り敢えず撮影を始めたのは彼女が11歳の時でした。
カウフマン監督:11歳のパートでハディージャがジムのトレーナーから、「君はいらない」といった言葉を投げかけられるシーンがあります。本当に「いらない」と断言されたのではないけど、彼女はその言葉に自分が否定されたようなショックを感じており、そのことに気付いた私たちは、まず、このやりとりからストーリーを発展させたいと考えました。目指していたものを失ったとき、彼女が何を思い描くのか知りたかったのです。それからは彼女自身も加わって、一緒にストーリーを作っていきました。
カッシゴリ監督:そうして、彼女の実人生や家族の話も多く含まれる物語が誕生したのです。ジャミラのキャラクターを分析すると、3分の1が演じているハディージャ自身、もう3分の1が映画に登場する実姉から彼女が受けた影響、最後の3分の1が彼女と同じ年頃の男女にありがちなストーリーやテーマから成立しています。
――彼女は撮影しているある段階で、映される客体ではなく、自ら演技をする主体になった訳ですね。それにしてもどこが切れ目かわからないくらい、ハディージャさんの演技は自然ですが。
カッシゴリ監督:いつ彼女が演技を始めたのかわからなかったという指摘は大変うれしいです。というのも、私たちはドキュメンタリーとフィクションの垣根をなくし、全体が一貫性を保つようにしたいと思い描いていましたから。ハディージャとは沢山リハーサルを行い、彼女のもつ天性の才能に合わせて、脚本とジャミラのキャラクターを修正していきました。
――5年という長い歳月、ハディージャさんにジャミラを演じてもらったおかげで、本作は彼女の肉体の成長を記録した類い稀なフィクションともなっています。同じ傾向の作品に、リチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』がありますが影響はありましたか。
カウフマン監督:『6才のボクが、大人になるまで。』は以前観たことがあり、本作を作っている最中にも見直しましたが、私たちは決して類似の映画を作ろうとしていた訳ではありません。作っているときに、そういえば似た映画があったなと思い出して見返したくらいです。
私たちの経験を語るなら、人間はその時々で変わっていくものだから、脚本でいくらストーリーを組み立てたところで、それに併せて演技の構想を練って撮影する頃には、書いたことに対する受け止め方は大抵変わっているものです。そうなると、脚本どおりに演じてもらったところでリアルではない。人生は変わっていき沢山の出会いがある。そうした刻一刻の変化を私たちは敏感に受けとめて、内容を微調整していきました。
その結果、『カリフォルニエ』ではそうして撮影した新パートが、過去のものと必ずしも結びつかない部分もありますが、これは『6才のボクが、大人になるまで。』でも同様です。あの作品では12年の歳月の中に小さなストーリーが入りこんでいて、回収できていない挿話もありますがあまり気になりません。物語の大枠さえ踏まえておけば、細部は回収できなくとも、人生スケッチとして味わいが残るのだと判断しました。
――おふたりは高校時代にフィレンツェで出会い、以来ずっと友人でいらっしゃいます。仲が良いぶん一緒に監督して揉めることはなかったですか。
カッシゴリ監督:確かに私たちは長い付き合いのある友人同士ですが、互いに性格が違うぶん相性は良く、あまり喧嘩もしません。
カウフマン監督:無論、互いの意見に同意できないことはありますが、それは映画製作の創造的な過程で互いが懸命に格闘しているからです。偶に視点が違ったとしても、これまで撮影や編集で切り抜けて、うまくふたりで納得できる着地点に到達してきました。だから今後も、共に作品を撮り続けていければうれしいです。
取材構成 赤塚成人(四月社・TIFF Times編集)
第34回東京国際映画祭 コンペティション部門
『カリフォルニエ』
© 2021ANGFILM
監督:アレッサンドロ・カッシゴリ、ケイシー・カウフマン
東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月7日
『カリフォルニエ』
アレッサンドロ・カッシゴリ/ケイシ―・カウフマン(監督/ 脚本/ 編集)
©2021 TIFF ケイシ―・カウフマン監督(左)、アレッサンドロ・カッシゴリ(右)
イタリア南部。ナポリ近郊の小都市に住むモロッコ人移民の少女ジャミラは、同じ街に住むボクサー、イルマ・テスラに憧れているが、貧しい身の上が彼女の人生を嫌が応にも現実的に生きるように強いていく。移民の苛酷な現実、義務教育のドロップアウト、未成年の労働搾取といった社会問題的な題材を描きながらも、ところどころにユーモアをちりばめ、決して裁くことをしない優しい眼差しを宿した本作。
共同監督のカッシゴリとカウフマンは共にフィレンツェっ子だが、前者はベルリンでドキュメンタリーを制作していた経験が、後者はアルジャジーラで記者を務めていたバックボーンがある。
――おふたりは以前、東京五輪2020で銅メダルを獲得したイタリアの女性ボクサー、イルマ・テスタのドキュメンタリーを撮っています。その撮影中に、本作でジャミラ役に抜擢するハディージャ・ジャアファリに出会ったのですね?
アレッサンドロ・カッシゴリ監督(以下、カッシゴリ監督):われわれはトッレ・アンヌンツィアータでイルマのドキュメンタリーを撮っていて、彼女と同じジムに通うハディージャを見つけました。『Butterfly』(18・日本未上映)─―イルマの愛称をそのまま題に拝借しました─―がいろんな映画祭に招待されて、行く先々で「ボクサーになる夢を語るあの女の子のことをもっと知りたい」と言われて、われわれも興味を搔き立てられたのです。それでふたたびあの街に戻り、少女に会いに行きました。
――映画は終始ジャミラを追いかけ、ところどころドキュメンタリーではないかと思えるパートもあります。ドキュメンタリーとして撮り始めたのでしょうか。
ケイシー・カウフマン(以下、カウフマン監督):本作の企画はハディージャありきで始まり、最初は構想もストーリーも形式も決まっていませんでした。ただ彼女を撮りたい。彼女には何か特別なものがあると感じていたんです。
カッシゴリ監督:そうして始めた企画ですから、冒頭にある9歳の彼女の映像は実は『Butterfly』からのショットです。その後1年間、彼女を観察しながらどんな映画が作れるのか考え続け、取り敢えず撮影を始めたのは彼女が11歳の時でした。
カウフマン監督:11歳のパートでハディージャがジムのトレーナーから、「君はいらない」といった言葉を投げかけられるシーンがあります。本当に「いらない」と断言されたのではないけど、彼女はその言葉に自分が否定されたようなショックを感じており、そのことに気付いた私たちは、まず、このやりとりからストーリーを発展させたいと考えました。目指していたものを失ったとき、彼女が何を思い描くのか知りたかったのです。それからは彼女自身も加わって、一緒にストーリーを作っていきました。
カッシゴリ監督:そうして、彼女の実人生や家族の話も多く含まれる物語が誕生したのです。ジャミラのキャラクターを分析すると、3分の1が演じているハディージャ自身、もう3分の1が映画に登場する実姉から彼女が受けた影響、最後の3分の1が彼女と同じ年頃の男女にありがちなストーリーやテーマから成立しています。
――彼女は撮影しているある段階で、映される客体ではなく、自ら演技をする主体になった訳ですね。それにしてもどこが切れ目かわからないくらい、ハディージャさんの演技は自然ですが。
カッシゴリ監督:いつ彼女が演技を始めたのかわからなかったという指摘は大変うれしいです。というのも、私たちはドキュメンタリーとフィクションの垣根をなくし、全体が一貫性を保つようにしたいと思い描いていましたから。ハディージャとは沢山リハーサルを行い、彼女のもつ天性の才能に合わせて、脚本とジャミラのキャラクターを修正していきました。
――5年という長い歳月、ハディージャさんにジャミラを演じてもらったおかげで、本作は彼女の肉体の成長を記録した類い稀なフィクションともなっています。同じ傾向の作品に、リチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』がありますが影響はありましたか。
カウフマン監督:『6才のボクが、大人になるまで。』は以前観たことがあり、本作を作っている最中にも見直しましたが、私たちは決して類似の映画を作ろうとしていた訳ではありません。作っているときに、そういえば似た映画があったなと思い出して見返したくらいです。
私たちの経験を語るなら、人間はその時々で変わっていくものだから、脚本でいくらストーリーを組み立てたところで、それに併せて演技の構想を練って撮影する頃には、書いたことに対する受け止め方は大抵変わっているものです。そうなると、脚本どおりに演じてもらったところでリアルではない。人生は変わっていき沢山の出会いがある。そうした刻一刻の変化を私たちは敏感に受けとめて、内容を微調整していきました。
その結果、『カリフォルニエ』ではそうして撮影した新パートが、過去のものと必ずしも結びつかない部分もありますが、これは『6才のボクが、大人になるまで。』でも同様です。あの作品では12年の歳月の中に小さなストーリーが入りこんでいて、回収できていない挿話もありますがあまり気になりません。物語の大枠さえ踏まえておけば、細部は回収できなくとも、人生スケッチとして味わいが残るのだと判断しました。
――おふたりは高校時代にフィレンツェで出会い、以来ずっと友人でいらっしゃいます。仲が良いぶん一緒に監督して揉めることはなかったですか。
カッシゴリ監督:確かに私たちは長い付き合いのある友人同士ですが、互いに性格が違うぶん相性は良く、あまり喧嘩もしません。
カウフマン監督:無論、互いの意見に同意できないことはありますが、それは映画製作の創造的な過程で互いが懸命に格闘しているからです。偶に視点が違ったとしても、これまで撮影や編集で切り抜けて、うまくふたりで納得できる着地点に到達してきました。だから今後も、共に作品を撮り続けていければうれしいです。
取材構成 赤塚成人(四月社・TIFF Times編集)
第34回東京国際映画祭 コンペティション部門
『カリフォルニエ』
© 2021ANGFILM
監督:アレッサンドロ・カッシゴリ、ケイシー・カウフマン