2022.03.25 [更新/お知らせ]
訃報:佐藤忠男さん(映画評論家)

映画評論家の佐藤忠男さんが、2022年3月17日に逝去されました。91歳でした。
 
東京国際映画祭では第3回(1989年)インターナショナル・コンペティション国際審査委員、第11回(1998年)アジア映画賞審査委員長、第27回(2014年)国際交流基金アジアセンター特別賞 審査委員、第28回(2015年) 国際交流基金アジアセンター特別賞 審査委員を務めて頂きました。
佐藤忠男さん

©2015 TIFF
第28回(2015)TIFFでの佐藤忠男さん(右)

 
謹んで哀悼の意を表しますとともに、心からお悔やみを申し上げます。

東京国際映画祭


 
佐藤忠男氏のご逝去の報に接し、深い喪失感を覚えている。とても物静かな方だったが、ひとたび映画の話となると、熱を帯びた言葉が速射砲のように飛び出てきたものだ。
氏の日本映画への造詣と愛情の深さには頭が下がったが、特にアジア映画の魅力を広めようと尽力された姿勢には敬服している。
私は、外交官時代や国際交流基金理事長だった頃に、外国でご一緒する機会が多かった。シンポジウムで聴衆が少なかったり、ロジの不都合があっても、決して立腹もせず淡々と熱意をもって取り組んでおられる真摯な姿が今も脳裏に残っている。。
東京国際映画祭も審査委員業務他で大変お世話になった。
先立たれた奥様のことはとても大切にしておられ、いつも仲睦まじい夫婦でいらっしゃったので、今もお二人で映画論議に熱中しておられるのだろうなと思う。

東京国際映画祭
チェアマン
安藤裕康


 
佐藤忠男先生は1989年、第3回東京国際映画祭インターナショナルコンペティションの審査委員を務められました。1998年には、その前年に設立された全部門のアジア映画を対象とする「アジア映画賞」の審査委員長をお願い致しました。その後も、2014年、2015年には「国際交流基金アジアセンター特別賞」の審査委員を務めていらっしゃいます。
私が東京国際映画祭事務局に最初に入った1991年、佐藤先生は「アジア秀作映画週間」のアドバイザリー・コミッティーのメンバーを務めていらっしゃいました。その翌年から私がその部門の担当となったこともあり、佐藤先生が様々な国でご覧になったアジア映画について直接お話を聞く機会がありました。現在のようにリンクで簡単に世界の映画を見ることができるような状況ではなく、その国に行かなければ見ることのできない映画が多数あった時代だったため、アジア各国に実際に足を運んで映画をご覧になっていた佐藤先生のお話は今から思い起こしても非常に貴重なものでした。
私が最初に出会った1991年から佐藤先生はアジアフォーカス・福岡国際映画祭のディレクターを務めていらっしゃいました。その頃の上映作品のプリントの多くは福岡市総合図書館に収蔵されています。その中には今では本国の素材が劣化したもの、プリントの所在が不明になっているものもあり、多くのアジア映画が佐藤先生のおかげで救われたことは間違いありません。アジア映画について多大な貢献をされた佐藤先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

東京国際映画祭プログラミング・ディレクター
市山尚三


 
東京国際映画祭シニア・プログラマー石坂健治 追悼文
⇒ [読売新聞 読者会員限定] それでも映画を愛するのです…佐藤忠男さんを悼む 石坂健治

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