映画監督の青山真治さんが、2022年3月21日に逝去されました。57歳でした。
東京国際映画祭では、昨年の第34回(2021)TIFFのコンペティション部門の審査委員を、第26回(2013)のアジアの未来審査委員を務めていただきました。
作品では、第30回(2017)Japan Now部門にて『EUREKA ユリイカ』(→2017年11月1日のレポートはコチラ)を、第19回(2006)日本映画・ある視点では『こおろぎ』、第10回(1997)ではシネマプリズムで『冷たい血』を、第9回(1996)アジア秀作映画週間では『チンピラ』をそれぞれ上映しました。
また第22回(2009)のアジアの風 ディスカバー亜州電影では、キム・ギヨン(金綺泳)監督の『玄海灘は知っている』上映の際に、高橋 洋さん(脚本家)とトークゲストとしてご登壇いただきました。
©2021 TIFF
昨年の第34回(2021)TIFFでコンペティション審査委員として参加された青山真治監督
謹んで哀悼の意を表しますとともに、心からお悔やみを申し上げます。
東京国際映画祭
青山真治監督と初めて会ったのは1996年に監督第2作『チンピラ』を私が作品選定を行っていた東京国際映画祭「アジア秀作映画週間」で上映させていただいた時でした。その翌1997年、「アジア秀作映画週間」の範囲を全世界に拡大した新部門「シネマプリズム」で『冷たい血』を上映させていただきました。広い意味でのヤクザ映画とも言えるものの、文芸映画のような趣をもったこの2作品は、当時多く製作されていたこのタイプのジャンル映画の中で異彩を放っていました。そしてそれから3年後、青山さんは永遠に日本映画の傑作のひとつとして語り継がれるであろう『EUREKA ユリイカ』でカンヌ映画祭コンペティション選出を果たし、一躍国際映画祭の寵児となりました。それは、いずれは必ずそうなるだろうという私の予想を遥かに上回る早さでした。
この10年間、青山さんは以前ほど多くの監督作品を発表していませんでした。その理由の一つに健康状態があることは人づてに聞いていましたが、昨年の東京国際映画祭で久しぶりに再会した青山さんは想像した以上に元気なように見えました、『東京公園』や『空に住む』といった近作には青山さんが新たな境地に達しつつあるような予感を感じていました。恐らく、来年ぐらいには新作が見られるだろう、そう思っていただけに、その突然の逝去の知らせを聞いた時には言葉を失いました。今できることは、青山さんが遺した映画を見続けることであり、また見せる努力を続けることだと思います。
東京国際映画祭プログラミング・ディレクター
市山尚三
映画監督の青山真治さんが、2022年3月21日に逝去されました。57歳でした。
東京国際映画祭では、昨年の第34回(2021)TIFFのコンペティション部門の審査委員を、第26回(2013)のアジアの未来審査委員を務めていただきました。
作品では、第30回(2017)Japan Now部門にて『EUREKA ユリイカ』(→2017年11月1日のレポートはコチラ)を、第19回(2006)日本映画・ある視点では『こおろぎ』、第10回(1997)ではシネマプリズムで『冷たい血』を、第9回(1996)アジア秀作映画週間では『チンピラ』をそれぞれ上映しました。
また第22回(2009)のアジアの風 ディスカバー亜州電影では、キム・ギヨン(金綺泳)監督の『玄海灘は知っている』上映の際に、高橋 洋さん(脚本家)とトークゲストとしてご登壇いただきました。
©2021 TIFF
昨年の第34回(2021)TIFFでコンペティション審査委員として参加された青山真治監督
謹んで哀悼の意を表しますとともに、心からお悔やみを申し上げます。
東京国際映画祭
青山真治監督と初めて会ったのは1996年に監督第2作『チンピラ』を私が作品選定を行っていた東京国際映画祭「アジア秀作映画週間」で上映させていただいた時でした。その翌1997年、「アジア秀作映画週間」の範囲を全世界に拡大した新部門「シネマプリズム」で『冷たい血』を上映させていただきました。広い意味でのヤクザ映画とも言えるものの、文芸映画のような趣をもったこの2作品は、当時多く製作されていたこのタイプのジャンル映画の中で異彩を放っていました。そしてそれから3年後、青山さんは永遠に日本映画の傑作のひとつとして語り継がれるであろう『EUREKA ユリイカ』でカンヌ映画祭コンペティション選出を果たし、一躍国際映画祭の寵児となりました。それは、いずれは必ずそうなるだろうという私の予想を遥かに上回る早さでした。
この10年間、青山さんは以前ほど多くの監督作品を発表していませんでした。その理由の一つに健康状態があることは人づてに聞いていましたが、昨年の東京国際映画祭で久しぶりに再会した青山さんは想像した以上に元気なように見えました、『東京公園』や『空に住む』といった近作には青山さんが新たな境地に達しつつあるような予感を感じていました。恐らく、来年ぐらいには新作が見られるだろう、そう思っていただけに、その突然の逝去の知らせを聞いた時には言葉を失いました。今できることは、青山さんが遺した映画を見続けることであり、また見せる努力を続けることだと思います。
東京国際映画祭プログラミング・ディレクター
市山尚三