2021.11.18 [インタビュー]
TIFF公式インタビュー「前にいくら壁があろうと、人はそれを乗り越えなければならない。」バフマン・ゴバディ監督:コンペティション部門『四つの壁』

東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月2日
四つの壁
バフマン・ゴバディ(監督/共同脚本/音楽)
公式インタビュー

©2021 TIFF

 
ミュージシャンのボランは古いアパートを買い、部屋から一望できる海の景色を妻に見せたいと願っている。妻子を迎えに行った彼は事故に遭い、久しぶりに部屋に戻ると、眼前を塞ぐ新築マンションが建っていた。イラン・ニューウェーブ第三世代の旗手、バフマン・ゴバディの最新作は、モニカ・ヴェルッチが出演した前作『サイの季節』(12)と同様、異国の地イスタンブ―ルで撮影された。取材中、監督がイラクのクルド人に脅迫された過去を語る衝撃のくだりがあるが、本作を完成させて監督自身も四方の壁を打ち破り、希望を語りたくなったことが本取材から見てとれよう。
 
――これは監督の個人的な体験からヒントを得た作品だそうですね。
 
バフマン・ゴバディ(以下、ゴバディ監督):今から13年ほど前、トルコのイスタンブールへ移り住み、海の見えるアパートの一部屋を借りましたが、2か月間クルディスタンに滞在して戻ってくると、家の前の樹木が伐採されていて、新しい建物が建つことを知りました。また眼前を壁で塞がれるのかと悲しくなりました。というのも私はイランを出国して以来、どこを向いても壁だらけだと感じていたからです。
自分の意思で国を発ったわけではないため、私は「亡命」ではなく「追放された」と話していますが、実際に追放されるようにして渡ったトルコでは言葉がわからず、友達や家族もいないため、私はただアパートから見える海の景色に憩いを求めていました。ところがその景観まで奪われることとなり、人生はどこまで理不尽なのかと、その当時、深い憂いを感じていたのです。
 
――その体験を主人公のボランに投影したのですね。本作ではボランのほかに、事故を起こした少年の母親アラルが重要な役柄で登場してきます。
 
ゴバディ監督:アラルとその子供を描きたかったのは、母親は故郷の、子供は未来の象徴であり、この両者を登場させて、物語に希望の灯をともしたかったからです。たとえ故国に住めず、言葉がわからなくても世界は終わりではない。母子の存在を通して、そのことを伝えたいと思いました。
 
――ボランもアラルも、自分が良かれと思ってした行為が仇となり、事故が起きてしまったことに傷ついています。自責の念というのが、この作品のひとつのモチーフとなっています。
 
ゴバディ監督:本作ではそうした心の囚われを壁に象徴させて、愛と憎しみを描こうとしました。憎しみの壁が打ち砕かれるのは、アラルの息子へ寄せる無私の愛がボランの心を氷解させるからであり、モスクの祈祷係は歌手になることで宗教の壁を越え、父親の言いなりで警官になった男はバンドに加わることで官僚の壁を越えます。そこで示されるのは、いくら壁があろうと人は乗り越えなければならないという人生の摂理です。海の嫌いなボランは沖へ出ていきますが、その先彼がどうなるのか、決定的なショットはありません。そこに希望を見いだせます。壁を打ち破り、各人が人生を受け入れる瞬間を捉えたかったのです。
 
――笑いのオブラートに包んでいますが、この作品ではまた魂の問題も扱っていますね。宗教が戒律をもって魂を縛り、資本主義がお金や不動産と引き替えに魂の欲求を解消することに、監督はとても怒っているように思われたのですがいかがでしょう?
 
ゴバディ監督:いま思えば、イランを出国して本作を製作するまで、私は随分長い間怒りを溜めこんでいたような気がします。イランを発つまでは誰かに襲われないかと不安で、家に戻ると玄関からベランダまで隈なく調べたり、ちゃんと鍵を閉めたのか何度も確認したり、枕元に包丁を置いたりと、至極落ち着かない日々をおくっていました。そしてイスタンブールに移ってからも、イラク北部のクルディスタン地域で支障なく仕事ができたことから、自分と同じクルド人が住むこの地域への移住をふたたび検討しましたが、KRG(クルディスタン自治政府)が芸術や文化にまるで関心ないと知り、大きな落胆を感じていたのです。イランで不安な日々をおくってきたぶん、クルディスタンで覚えた怒りも非常に根深いものでした。
実はこれは初めて公表することですが、私はKRGに気を病むほど脅されていました。「殺してやる」とまで言われたのです。自分と同じクルド人が住む土地で脅されて、私は泣く泣くイスタンブールに戻ってきました。こうした経験があったものだから、当時は余計に「壁」を意識したのでしょう。
 
――怒りの根底にはそうした不安や恐怖、芸術を理解しない人々への落胆があったのですね。
 
ゴバディ監督:2~3年ほど前から怒りの感情は徐々に薄れてきて、コロナ禍でゆっくり過ごせたことも私には大きく幸いしました。われわれはこうした苦渋の経験をリサイクルし、作品に昇華していくのが仕事です。3か月後にアメリカで英語の映画を作る計画もあるため、いまは前向きです。
 
――交通事故のシーンは使用される音楽との相乗効果で鮮烈な印象を残します。
 
ゴバディ監督:あのシーンは18年前、叔父と一緒に車を走らせていて、クルドの音楽を大音量で聴いていたところ、車が谷に転がり落ちる事故に遭った経験から着想しました。転がり落ちる際、車が音楽にシンクロしている奇妙な感覚があって、どんな曲だったのかいまも覚えています。このシーンをはじめとして、映画ではさまざまな曲を使用していますが、いずれもまるで次のシーンを予言しているかのように用いてあります。歌詞がボランのたどる道筋を暗示しているのです。
 
――最近、あなたはアメリカの映画芸術科学アカデミ―に、東京五輪のように亡命中の監督が表彰される新部門を設立してほしいという、要望書を提出しました。
 
ゴバディ監督:アカデミー外国語映画賞は国ごとに代表作品の選定を委ねており、国が好まない映画は選ばれるチャンスがありません。それで新部門を作ってほしいと伝えました。世界で20〜30人ほどの監督が該当するはずです。次回アメリカへ行った際、マーティン・スコセッシに助力してもらい、ぜひ要望を実現させたいと願っています。
 

取材構成 赤塚成人(四月社・TIFF Times編集)

 
 
第34回東京国際映画祭 コンペティション部門
四つの壁
公式インタビュー

©MAD DOGS & SEAGULLS LIMITED

監督:バフマン・ゴバディ

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