2021.11.18 [インタビュー]
TIFF公式インタビュー「多様な解釈が成立しますが、最終的に子供を誘拐された親の気持ちに寄り添いたかった。」テオドラ・アナ・ミハイ監督:コンペティション部門『市民』

東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月4日
市民
テオドラ・アナ・ミハイ(監督/共同脚本)
公式インタビュー

©2021 TIFF

 
メキシコ北部の街サン・フェルナンドでは、麻薬組織が資金源を確保するために市民の子供を誘拐し、身代金を要求する事件が頻発している。小心者の主婦シエロは、娘を誘拐され、警察が役立たないのを悟ると自ら犯人捜索に乗りだし、軍の治安部隊の協力を得て救出活動を続ける。国際的に報道された事件をリサーチして本作を完成させたテオドラ・アナ・ミハイ(1981〜)は、ルーマニア人だが思春期をベルギーで迎え、アメリカで映画を学んだ才媛。この長編劇映画第1作は、世界市民的な感性でメキシコ・ローカルの問題を掘り下げ、事件の渦中にいるような衝撃を見る者にもたらした。
 
――東京国際映画祭の紹介記事に、監督は1989年に両親と共にルーマニアからベルギーに移住したとありますが、海外プレスの記事を読むと、その前年に両親が先に移住し、監督は89年に合流したとあります。どちらが正しいのでしょう。
 
テオドラ・アナ・ミハイ(以下、ミハイ監督):後者です。1988年、まず両親がチャウシェスク政権下のルーマニアからベルギーへ渡りました。そうして一人っ子の私は置いてきぼりにされたのですが、それは語弊のともなう言い方をすれば人質みたいなもので、両親が帰国することの担保として、私は国に残されたのです。幸い1年後に両親と合流することはできましたが、当初は私だけ取り残されたのでした。
 
――その幼い頃の経験は、監督の人格形成や作品に影響を与えていますか?
 
ミハイ監督:当然与えていると思います。悲しいかな、当時のルーマニアは市民同士が監視して告発しあう社会で、心から信頼できる人間関係は築けませんでした。そうした状況を私も曲がりなりに経験していたので、人を信じられない気持ちが自分でもよく理解できるんです。この映画に流れている感情もまさしくそうで、警察当局や男尊女卑の習慣、政治的な背景の問題に斬り込んで、乗り越えていくのは自分しかいないとシエロは考えています。それは私自身の心根にもあるものです。
 
――監督の前作″Waiting for August″(14・日本未上映)も、母親が海外に出稼ぎに行ってしまい、15歳の少女が6人兄妹の面倒を見るドキュメンタリーでした。本作のシエロといい前作の少女といい、監督は強い女性への憧れがあるのでしょうか?
 
ミハイ監督:ドキュメンタリーの少女やシエロのように、逆境に挫けない女性に私は強く心を惹かれます。普段どこにでもいそうな女性が状況に応じて、自分でも気付かなかった能力を発揮して生きていく姿に。とりわけ、忍耐力のある打たれ強い女性が好きで、フィクションでも現実世界でも諦めない気持ちをもつ女性の存在を知るのは、大変素晴らしいことだと感じています。そこにはやはり、私の育ってきた環境も影響していることでしょう。移民の子として異国で成長するのは、決して簡単なことではありませんでしたから。
 
――確固たる女性像があるのと対照的に、本作に登場する男性は空威張りの頼りない人物が多いですね?
 
ミハイ監督:確かにそうですが、これは私の男性観を表明するものではなく、メキシコが男性優位の文化圏であることを投影しています。私が思うにあの国でマチズモがいまだに蔓延っているのは、男性の方が性格的に弱いからです。それでシエロの夫グスタボは、最初強固な意志があるように見えて、話が進むにつれて弱さが滲み出るキャラクターにしました。弱くなるほど彼には人間味も出てきます。終盤の集団墓地のシーンで夫婦はたった一度だけ心を通わせ合いますが、そこには男と女でなく、個々の人間がいるだけだと私は考えています。
 
――麻薬組織の女性が軍の中尉の拷問を受けるシーンで、背景に部下の兵士の笑い声が聞こえます。この光景を目の当たりにしたシエロは、自分の娘も同じようにカルテルに笑い物にされて拷問を受けたのではないかと、苦渋の表情を浮かべます。
 
ミハイ監督:私はかねがね暴力に接した人は、暴力装置の一部になると考えています。あのシーンはシエロが初めて暴力の渦に巻きこまれ、その世界に入りこんでしまう瞬間です。彼女は娘を誘拐された被害者でしたが、暴力を目の当たりにして自らも加害者に転じてしまう。娘を救いたい思いから捜索に出たのに、彼女自身も拷問する側に回ってしまいます。家族を想う心は映画に登場する誰もがみな同じであり、その想いが強いあまり、暴力に足を踏み入れてしまうのです。どの人間も苦悩を抱えているところに状況の複雑さが垣間見えます。
 
――ラストは多様な解釈が成立しますね。どんな思いをこめたのでしょう?
 
ミハイ監督:子供が誘拐された親は生涯理不尽な思いを抱え、わが子が生きているのか死んでしまったのか、答えのないまま生きていかなければなりません。現実がそうである以上、具体的な映像を示すことは避けたいと思いました。
あらゆる想像があの結末においては可能となります。娘が戻ってきたと思う人もいるでしょう。現実には非常に稀ですが、警察から数本の骨を渡されてそれらを埋葬したあと、わが子が生還した事例もあるからです。また、私がシエロのモデルにしたミリアム・ロドリゲス(1960~2017/実際に愛娘を誘拐した犯人グループを4年間追い続け10人の逮捕に貢献した)と同じように、報復されて殺されたと思う人もいるでしょうし、さらに彼女が見た物は「死」だったとする観念的解釈や、想像の中でわが子と再会したとする詩的解釈も成立します。こうしたさまざまな理解の余地を残して、私は子供を誘拐された親たちの気持ちに寄り添いたいと願いました。
 

取材構成 赤塚成人(四月社・TIFF Times編集)

 
 
第34回東京国際映画祭 コンペティション部門
市民
公式インタビュー

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監督:テオドラ・アナ・ミハイ

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