TIFF公式インタビュー「大切な人を失った悲しみや喪失感に心の置き場所を見つけたかった。」奥田裕介監督:アジアの未来部門『誰かの花』
東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月4日
『誰かの花』
奥田裕介(監督)
認知症の父と介護する母が暮らす団地に、鉄工所で働く青年はたびたび訪れる。早逝した兄と区別のつかない父に複雑な感情を抱く青年だったが、ある風の強い日に団地で植木鉢が落ち、死者が出る。青年は父が落としたのではないかと疑いを募らせる――。ドキュメンタリーやミュージックビデオ、舞台と、多彩な活動をする奥田裕介の劇場作品第2作は、老いと介護、死んでいった者への感情が画面から滲み出る。現代日本社会を象徴した力作だ。
――作品はどんなことからスタートした企画なのですか?
奥田裕介監督(以下、奥田監督):きっかけは、横浜の老舗映画館、横浜シネマ・ジャック&ベティの30周年記念作品の監督として選ばれたことがはじまりです。監督らしいパーソナルな映画を撮ってくださいと言われました。書き始めた頃に僕の身内を交通事故で亡くして、書こうと思っていたものが書けなくなってしまいました。被害者家族のことを書かないと自分は前に進めないなと思ったのです。
――最初はどんな話にする予定だったのですか?
奥田監督:最初は、宗教の話を書こうとしていたのです。それから娘を事故で亡くした父の再生の話になりました。ただ、どうしても説教臭くなって、僕が映画を通してやりたいことではないなと思いました。事故のこと、家族のことを距離感を置いて書くことを目指しました。
――作品には親しい人を亡くした喪失感と同時に、老いた両親の問題が大きな割合を占めています。これも監督自身の経験を反映しているのですか?
奥田監督:それまで老老介護も、他人事として傍観していました。けれども、事故があって、両親がどうなるかを考える状況になりました。同じ頃に、認知症の叔父とコミュニケーションを取る機会があり、忘れるということを深く考えるようになりました。叔父には身内の葬式の日時、場所を伝えなかったのですが、香典袋だけを持って徘徊していたらしいのです。僕の実家を思い出せなかったらしく、何キロも徘徊したそうです。そうしたことから、作品のテーマが浮かんできました。あとは団地ですね。シナリオハンティングで行った時に、団地は高齢化社会を象徴するものだと感じました。
――監督は団地にお住まいになったことはあるのですか?
奥田監督:はい。ずっと実家が今もあります。
――団地でのつきあいがリアルに描かれていると思いました。団地内の事件を発想された理由を教えてください。
奥田監督:現実に僕たち家族が事故で被害者遺族になったわけですが、時間が経つにつれ、「もう一度」があるならば、加害者の方が怖いという風に思いはじめました。被害者遺族であれば、被害者としての心の持っていき方があります。加害者になった時には心の持っていき場所がないと思ったのです。混乱するだろうと思い、主人公が葛藤をする映画を撮りたいと思いました。
――なるほど。主人公の心情は監督自身の反映でもあるのですか?
奥田監督:主役を演じたカトウシンスケさんとは、本当にたくさんコミュニケーションをとって、一緒に事故現場に行き、僕の家族に会ったことからキャラクターができていきました。
――主人公の思いは複雑ですね。早逝した兄に対する惜別の念もあるけれど、美化された兄に不満もある、複雑なキャラクターですね。
奥田監督:たまに実家にいって親父と酒を飲んでいる時に、突如失った存在には勝てないなって思う時がありました。そういう家族にもいえない感情をカトウさんには全部お伝えしました。カトウさんの意見も入って、生み出していけたかなと思っています。
――主人公が溶接しながら1人で喋っているけれど、それは実際にあることなのか起きたことなのか頭の中のことなのか、明確にしないで描かれる。その辺は意図されたことですか?
奥田監督:そうですね。鉄工所がキリスト教の告解の場、罪をカミングアウトする場にしたいと考えました。免罪符というか、自分の大義名分を組み立てるシーンにしたかったのです。
――それぞれが喪失感を持った人たちで、主人公がヘルパーに対して親を守るという形になるわけですけど、これも監督が考えて出した結論ですか?
奥田監督:カトウさんがこのキャラクターを演じたら、こういう展開になると考えました。カトウさんはいい意味で、かわし方がすごく上手なので、カトウさんとすり合わせて作っていったという感じですね。
――脚本を書き上げるときに一番ご苦労された部分というのはどこですか?
奥田監督:受け身のキャラクターである主人公がどう物語を展開させていくか、巻き込まれていくかという点で悩みました。感情をあまり出さない主人公がどこで感情を表に出すのか、すごく悩みました。
――ある意味で、この作品の制作が監督のリハビリというか、立ち直っていくプロセスになった印象です。そのあたりいかがですか?
奥田監督:その部分も大きくあるなと思いながらスタートしました。キャスト、関係者、取材相手と話していくなかで、客観的に見られるようになったのです。大事な人を失った悲しみとか、喪失感を持った人に救いの形というか心の置き場所を見つける。僕以外の人にもそういう風になったらいいなと客観的になってきたので、撮影するときは距離をおいて撮れたという風に思っています。
――それにしてもキャスティングが見事で、名優の吉行和子さんや高橋長英さんも参加されています。どのようにキャスティングをされたのですか?
奥田監督:シナリオを書くときにキャスティングを脳内でしていきました。まずカトウシンスケさんへのオファーが叶ったので、強気でプロデューサーに話してみたら、吉行さんも長英さんも映画の味方になってくださいました、本当に感謝しています。
――この作品が東京国際映画祭に出品されましたが、今後の抱負をお聞かせください。
奥田監督:選んでいただいた嬉しさもありますが、お世話になった方々に、恩返しができたなという安心感の方が強いです。僕は、やっぱり映画館で観たくなる映画を目指しています。今後、考えているテーマは、善意から生まれた悲劇、そこに救いがあるのかを探っていきたい。僕の中で不確かな罪って呼んでいます。
――下世話なこと聞きますけれども、映画監督だけでは生活はなかなかしにくいと思いますが、普段の生活はどのようにされているのですか?
奥田監督:実は葬儀社で会社員として働いています。映画を撮るときは2か月間お休みをいただいて、映画と向き合っています。
第34回東京国際映画祭 アジアの未来部門
『誰かの花』
監督:奥田裕介