東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月4日
『アメリカン・ガール』
ロアン・フォンイー(監督/脚本)
SARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を奮っていた2003年。13歳の少女ファンイーは、母と妹と暮らしていたロサンゼルスを後にし、父の待つ台湾に戻ってきた。肺がんと診断された母の本格的な治療を開始するためだった。父は久しぶりに同居する妻や娘たちを気遣いながらも仕事に追われ、母は体調も精神状態も不安定に。そんななか、編入したカトリック系の学校で“アメリカン・ガール”とあだ名を付けられたファンイーは、孤独といらいらを募らせていく…。半自伝的な要素を盛り込んだ本作で監督デビューを飾ったロアン・フォンイー監督。みずみずしい感性が、定評のある<台湾・青春映画>の系譜に連なる予感たっぷり。31歳の新星に、製作のプロセスなどを伺った。
――半自伝的な物語を選んだ理由は?
ロアン・フォンイー監督(以下:ロアン監督)まずは、自分の1997年の体験を綴った短編『Jie Jie(おねえちゃん)』を、2018年に東京で開催された「Short Shorts Film Festival & Asia」でみなさんにお見せできたことです。その時に頂いたレビューがとても良かったことが励みになりました。そして今回、初めてのチャレンジとして長編映画を作ることになった時に、もう一度、自分がどういう人間なのか、何に影響を受けてきたのか、今の自分がどうあるのかをじっくりと考えなければいけないと思いました。結果、2003年、つまり母と私と妹が台湾に戻ってきた時のことが、私にとっても家族にとってもエポックだったと再確認し、映画にすることにしました。
――脚本のリー・ビンとの共同作業はどのように?
ロアン監督:彼は映画学校の同級生です。今回、共同作業をする脚本家の条件が、バイリンガルであること、描こうとしている東洋と西洋の両方の文化を理解している人だったのですが、彼はその条件にぴったりでした。しかも、短編『Jie Jie(おねえちゃん)』の時もストーリーのコンサルタントとして一緒に仕事をしていましたから、私にとっては彼がファースト・チョイスだったのです。
――ヒロインのファンイーが感じるカルチャーギャップ=学校の制服、教師からの体罰、食事マナーなども興味深かったですが、とりわけ、普及したてのインターネットの扱い方が面白いと思いました。
ロアン監督:この物語を撮ることになって苦労したのが、2003年当時の風景や物などを再現することでした。ロケをしようとしても、場所そのものが変わっていたり、家具や家電の古いものを集めるのも大変。インターネットがなかった時代と今とでは、本当に世界がふたつに分断されているような感覚に陥りました。
――インターネットが当たり前の娘と、それがよく理解できない両親とのギャップが、親娘の心のすれ違いのメタファーのようですが。
ロアン監督:そうです! 両親は、子供が親と心を通わせていないことに不安がっていても、そのことに気が付かない、あるいは理解できない。それは、インターネットがつながらずに不安を抱く娘のことも、全く理解できないということです。私たちの世代の暮らしの中で、インターネットは水と同じくらいに自然で当たり前ですけど、両親はいまだにメールではなく、たくさん電話をかけてきます(笑)。
――『九月に降る風』(08)のトム・リン監督がエグゼクティブ・プロデューサーを担当することになった経緯は?
ロアン監督:短編を作っていた時から存じ上げていたのですが、2018年の「ゴールデン・ホース・プロジェクト(台湾金馬奨の“Film Project Promotion”)」の時に、彼がストーリー・コンサルタントになり再会しました。実はトムさんも台湾とアメリカを行き来した経験があるので、私の物語に共感してくださいました。そこからプロデュースも、となりました。
――母親のリーリーを演じたカリーナ・ラムはトム・リン監督の『百日告別』(15)の主演女優。そのご縁で本作への出演が決まったのですか?
ロアン監督:カリーナさんは、伝説的に有名な女優さんであり、出演作を選ぶのも吟味に吟味を重ねてということでも知られていました。私は最初から彼女に母親を演じて欲しかったのですが、簡単ではないだろうと思っていました。その気持ちをトムさんが察知して、とにかく彼女に脚本を手渡してみると申し出てくれたのです。それから、彼女に脚本が届くまで待ちました。引き受けてくださると返事が来たときには、とても嬉しかったですね。
――母でありながらも女性としての苦悩も体現していて、さすがに巧いと思いました。
ロアン監督:私が要求することもなく、カリーナさんは最初から、カメラを向ければいろいろな表情の変化を見せてくれるました。私は、彼女のクローズアップの一つ一つに感激するばかりでした。撮る前に私が恐れていたのは、女性は母親になると母親の顔にしかなれず、ひとりの女性であることを忘れてしまうということです。しかしカリーナさんは違っていました。リーリーというひとりの女性、人間としての様子を体現してくれて、素晴らしいキャラクターを生み出してくださいました。
――そのカリーナさんと堂々の共演を果たしたファンイー役のケイトリン・ファンはどのようにキャスティングしたのですか?
ロアン監督:とにかくバイリンガルであることが条件でしたので、台北の数少ないインターナショナルスクールに通っている少女をプロデューサーに探してもらいました。
――候補者の中から彼女を選んだ決め手は?
ロアン監督:最初に会った時から潜在能力を秘めていると思って。それに、目の表現力も決め手のひとつでしたし、カメラを通して見た時には純粋さと清潔感も感じました。撮影監督のヨルゴス・バルサミスはかなり多くの時間をかけて少女たちをカメラ越しに見つめていたのですが、やかりケイトリンの目の光が素晴らしいと気がついていました。
もちろん演技の経験がなかったので、最初はちょっとルーズな感じでしたが、説明付きで要求を出すと、飲み込み早くきちんとやってくれる。ステップアップが早かったです。今思えば、彼女にとっては難しい要求も多かったのですが、よく応えてくれました。
――彼女と馬が出会うシーンが印象的でしたが、監督ご自身が馬にこだわりが?
ロアン監督:馬については、妹のおかげなんです。私は、アメリカにいる時に馬と接する機会が結構あって、身近な存在だったのです。最初に書いた脚本では、馬は登場しませんでした。台湾では全く馬に接する機会もないし、撮影するとなったら大変だろうと考えていました。ところが、妹が「お姉ちゃん、馬のこと書いたの?」と聞いてきて、「馬を撮るのは現実的じゃないから」と答えると、「でも、あなた自身のことでしょ」と言われて。「なるほど、そうだった!」と馬も撮ることにしたのです。でも、その話を最近になって妹にしたら、「あら、そんなこと言ったっけ?」って。もう、あっけにとられて笑ってしまいました(笑)。
――いちばん難しかったプロセスは?
ロアン監督:短編との比較になりますが、短編を撮る時は、すべてのシーンをかなり深く分析して撮ります。でも、同じことを長編でやろうとしたら、あまりにいろいろな事柄が常に変化して動いている。となると、現場でその変化にも対応しながら撮影を進行させなければいけない。
実は、14回も脚本を書き直して万全の体制で撮影に臨んだはずなのに、いざ現場で撮ると脚本に書いてあるものよりこっちのほうが良い、ということもたくさんあって…。常にそういう変化する中にあって、動きをコントロールしつつ、撮りたいものを見極める。さらには、より良いものを生み出す余地も常に残しておかなければならない。そういう難しさを痛感しました。
――完成した作品をご覧になった感想は?
ロアン監督:この作品は自分のすべてを尽くして、今の時点できることは全てやったと思っているので、出来に関しても満足です。またメッセージとして、人間というのは完全ではないけれど、その不完全なところにこそ力があるなと。だからこそ、おたがいに理解し合い、その不完全の中に秘められた力に目を向けて欲しいということが、ご覧になったみなさんに伝わればいいと思っています。
第34回東京国際映画祭 アジアの未来部門
『アメリカン・ガール』
監督:ロアン・フォンイー