東京国際映画祭公式インタビュー 2021年11月3日
『世界、北半球』
ホセイン・テヘラニ(監督/プロデューサー/脚本)
アスガー・ファルハディやバフマン・ゴバディなど、巨匠揃いのイランから新星現る。これまで短編やドキュメンタリーで活躍してきたホセイン・テヘラニ監督が初めて手掛けた長編は、イラン・イラク戦争の爪痕から世界中で戦争の続く現代へのメッセージ『世界、北半球』。14歳の少年アフマドを通して描かれる、イランの保守的な地方で起きる一家の物語だ。
――本作の舞台になったフーゼスターンは、日本人には馴染みがないので、どういう場所かご説明していただいてもよろしいでしょうか?
ホセイン・テヘラニ監督(以下、テヘラニ監督):フーゼスターン州はイラン南西部にある、イラン・イラク戦争が始まった地方です。今でも地雷が残っていたり、イラク軍の残したものや、爆撃で壊れたものが置かれたまま。私たちが撮影したのはシューシュという街ですが、私たちが入る一週間前に、地元の方が地雷を踏んで亡くなったと聞きました。
――危機管理はどうされていたのですか?
テヘラニ監督:現地の人たちは地雷の場所を把握していたので、ネイティブガイドをつけ、全てのスタッフに特別な保険を掛けていました。スタッフの大半は戦争を知らない若者だったので、地元のおじいさんたちの話を興味深く聞いたり、戦争で残った銃弾などを喜んで集めたりしていました。
――監督は戦争の時代を知っていますよね?
テヘラニ監督:自分は戦争の時、6歳くらいでした。まだ小さかったので、どういう戦争かは理解していませんでしたが、それでもいつミサイルが飛んでくるのか分からないとか、恐怖感は今でも覚えています。
――タイトルの由来は?
テヘラニ監督:実は最初は、『戦争を聞いた話』だったんです。でも、「戦争」という言葉は使わない方がいいと判断し、このタイトルにしました。なぜなら、戦争の話を聞いた人と、実際に経験した人の違いを出したかったからです。そのインスピレーションは、若手のスタッフたちの様子を見ていてはっきりと受け取れました。彼らは、こんな所で戦争していたのかと半分楽しんで、恐ろしさは感じていないようでした。タイトルの「北半球」は、イランがあるところです。でも、戦争は今でも地球のいろいろな所で起きています。グローバルに見たら世界をそのまま見るしかない。俯瞰してみると、戦争は人類全ての問題なのです。
協力してくれたフーゼスターン州の人たちは、自分たちが何をしているのかも分からなかったようですが、ものすごく協力的でした。あの街には、アラブやトルコ、クルドなど、いろいろな民族が集まって住んでいます。いろいろな民族がいますが、みんな一人一人にはいろいろな民族の間での諍いが絶えません。でも、彼らのようにみんなが仲良く暮らしていたら、どのくらい世界は平和だったのだろうと思います。
――主人公と同い年の長女は、いとことの結婚を迫られています。これはイラン全体の標準なのでしょうか?
テヘラニ監督:いえ、首都ではそうではありません。が、国境近くの西側と東側、西側はアラブに近く、東側はパキスタンに近い所では、まだそういったことを信じたり実行したりしている人たちが住んでいます。例えば、いとこ同士は絶対に結婚しないといけないとか、9歳から女性は結婚しないといけないとか。本作の母親は、14歳の娘を絶対結婚させないと言っているけれど、9歳が結婚適齢期と思っている人が多いエリアでは、14歳は行き遅れということになります。
――では、アフマドですが、まだ14歳なのに家長として扱われていますよね。これもスタンダードではない?
テヘラニ監督:じつは最初に描いた脚本は、あの一家に足が不自由な父親がいて、仕方なく息子が仕事をしているという設定でした。ですが、実際に現場に行って、そこに住んでいる女性を役者としてスカウトしたら、困ったことになりました。仮に映画の中であっても、見知らぬ男が夫役をやるのはタブーということ。そのため、脚本を変えてお父さんには死んでもらいました。そうでないと、母親役の方が芝居をやらなかったのです。そのくらい厳しい風習にがんじがらめになっているエリア、と思ってください。よく勘違いされるのですが、これは全く宗教は関係ありません。地域の伝統的な風習です。
――戦争のメモリーが今もなお続いているうえに、そんな厳しい風習があるとは…。
テヘラニ監督:それだけじゃありません。もうひとつの問題は、本作で拾った骨を母親が、「イラン人のものじゃない」ということに象徴される人種問題です。21年くらい前に初めてこの地域を旅して、本作で描いたことの一部を目にして衝撃を受けました。これまでドキュメンタリーなどでもその件は扱ったことがなかったので、本作を作る際、あの時を思い出して、その時に見て刺激を受けたことを採り入れようと思ったのです。
――ドキュメンタリーの方が撮りやすいテーマのような気がしますが、なぜこれを劇映画でチャレンジしようと思われたのですか?
テヘラニ監督:せっかくこういう厳しいロケーションで撮るのなら、ドキュメンタリーではなくフィクションにした方が、みんなにも伝わるだろうと思ったからです。
――スタッフは若手が多かった、役者はスカウトした、ということですが、皆さん映画の経験はあったのでしょうか?
テヘラニ監督:全員が初めての仕事でした。まずスタッフですが、皆、戦争の爪痕が残るこの地方に興味を持った、やる気のある若手ばかりでした。撮影の許諾を取るのも難しい危険地帯だったのですが、彼らのおかげで大変な40日間の撮影を乗り切れました。あと、役者についてですが、全員現地でスカウトしています。舞台を少しやっただけで映画は初めてという3人以外、全員が素人です。撮影期間中は、スタッフや地元の役者に何かあったらと考えるとあまりにもつらく、ものすごいストレスを感じました。
――それだけ素人ぞろいなのに、冒頭の鳩、後半に出てくる地雷炸裂のシーンはかなりチャレンジでしたね。
テヘラニ監督:鳩の首を実際に取るシーンはワンテイクしかできないですし、実際に撮っていいのかと戸惑いましたが、今、すべてが終わって映画を観ると、撮って良かったと思います。地雷のシーンはハードでした。母親役の彼女は実際に戦争を経験した人なので、泣くなら1回しか泣けないから、と言われたんです。もちろんワンテイクで終わったけれど、カメラの後ろのみんなまで泣き出したほどです。戦争の痛みが残っていた彼女にそれをさせたことは、今思い出しても涙が出ます。
――その苦労を日本でワールドプレミアしてくださってありがとうございます。
テヘラニ監督:日本は私たちが尊敬する国ですから、そこで初披露できたことで疲れが吹っ飛びました。
第34回東京国際映画祭 アジアの未来部門
『世界、北半球』
監督:ホセイン・テヘラニ