2021.11.03 [イベントレポート]
山崎バニラ、大正琴&ピアノにのせた“ツッコミ活弁”で観客を魅了 会場を子どもたちの笑い声が包む
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軽妙な語り口で観客の爆笑をさらった弁士・山崎バニラ

第34回東京国際映画祭で11月3日、声優としても活躍する弁士・山崎バニラが参加した「山崎バニラの活弁小絵巻2021」が、東京・有楽町のTOHOシネマズ シャンテで開催された。

舞台挨拶では、山崎が「無声映画時代より、大小さまざまな活動写真館で賑わった日比谷、銀座、有楽町に会場を移しました東京国際映画祭。大変ありがたいことに、4年連続の出演でございます」と感謝を述べる。本企画は「ユースTIFFチルドレン」のプログラムであるため、山崎が会場内で子どもたちを探すと、会場のあちらこちらで元気よく手を上げる姿が。そんな光景に笑顔を浮かべた山崎は、「活弁」という文化について説明する。

「明治から昭和初期にかけて、映画はまだ音がついていない無声映画でございました。映像が動くだけでびっくりした時代、「わ、写真が動いた!」ということで、映画は「活動写真」と呼ばれておりました。その活動写真の全ての役に声をつけ、語り部も担当したのが、活動写真弁士。弁士の文化は日本で特に発展し、全盛期には7000人以上、ですが現在は十数名。なかでも大正琴やピアノを弾きながらしゃべるのは、私だけでございます」

その言葉の通り、この日は山崎が3本のサイレント映画に合わせ、大正琴やピアノの弾き語り活弁を披露。大正琴を用いた1本目は、戦前から戦中にかけて、年間100本もの娯楽映画を量産した「大都映画」の人気スターで、“昭和の鳥人”と呼ばれたハヤフサ・ヒデト主演の痛快アクション活劇『争闘阿修羅街』。同じく「大都映画」の看板スター、大岡怪童とともに、半人前の新聞記者コンビを演じている。

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山崎は「庶民の味方であり続けた「大都映画」は、世の中がすっかりトーキー、発声映画になっても無声映画を作り続けました。本日紹介するのは、無声映画全盛期より少しあと、1938年封切りの作品となっております。前の年から日中戦争が始まっておりましたので、本作も“国家的発明”をめぐる飛行機の物語なのですが、大変厳しい時世のなかで、こんなにも楽しく、ときにツッコミどころ満載の作品を、CGなどもない無声映画時代に体を張って作っていたかと思うと、大変胸が熱くなります」と熱弁した。

上映中は、場面が急に飛んだり、ずぶ濡れになったヒロインの服が一瞬で乾いたりと劇中の気になるポイントや、ドタバタ騒動を繰り広げるキャラクターたちに、山崎がキレキレのツッコミ活弁を披露。また、風景を描いた大きな板を舞台の後ろに立て、実際の風景に見立てる「書割」を紹介した。低予算が売りの「大都映画」では、「書割」と思われるシーンがいくつか登場するため、「風景が一切動かない、これは「書割」でしょうか……?」という山崎の言葉に、観客は大笑い。とりわけ子どもたちの大きな笑い声が会場に響いていたことが印象的だった。

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続いては、世界的な人気を博したスタン・ローレル&オリバー・ハーディのコンビの無声映画時代の代表作『ローレル&ハーディのリバティ』、コンビにとって同時代の最後の作品『ローレル&ハーディの山羊の失恋』を2本立てで上映。2018年には、スティーブ・クーガンがローレル、ジョン・C・ライリーがハーディを演じ、彼らの晩年を描いた『僕たちのラストステージ』という伝記映画も製作された。

「興味深いことに、はっきりいってふたりとも、性格が良いというキャラクターではありません。この不健康で陰湿で排他的な笑いを追求しているという点が、キートン、ロイド、チャップリンの三大喜劇王との大きな違いだと思います」と解説を加えた山崎。いざ上映が始まると、「ボケ&ツッコミの始祖」ともいわれる伝説的なお笑いコンビが見せるコミカルな動きを、ピアノと軽妙な語り口で彩り、観客を魅了していた。

第34回東京国際映画祭は11月8日まで、日比谷、有楽町、銀座地区で開催。
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