©Peter Lindbergh, courtesy Peter Lindbergh Foundation, Paris
第34回東京国際映画祭が10月30日開幕した。今年は、コロナ禍でのリアルな映画祭開催という決断、六本木から日比谷・銀座地区への移転、プログラミングの再編、ジェンダーの平等に向けた努力への誓約という大きな変革を伴う開催となる。コンペティション部門の審査委員長を務めるのはフランスの女優イザベル・ユペール。日本に到着直後のユペールに話を聞いた。
――まずは、コロナ禍という厳しい状況もかかわらず、フランスから東京国際映画祭にお越しくださって感謝申し上げます。
映画祭主催者と市山尚三さんの尽力のおかげで私は、この場に来ることができ、本当に嬉しいです。今の状況は誰にとっても厳しいものであり、このような状況下でも、映画祭を開催することは非常に勇気のあることだと思います。私も何としてもこの映画祭に参加したいと思っていたので、実現できてとても嬉しかったです。
――今年のベルリン国際映画祭銀熊賞、カンヌ国際映画祭では脚本賞などを受賞した、濱口竜介監督とのトークセッションも予定されていますね(10月31日に実施)。
『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』で濱口監督の仕事を発見し、そして『ドライブ・マイ・カー』は現在フランスでも大成功を収めています。私は彼のすべての作品に満足しています。その才能、際立った感受性に目を奪われ、非常に繊細で微妙な感情を知性と才能で翻訳する方法を持つ、非常に素晴らしい監督です。
――今年のコンペティション作品からどのような映画を発見されたいですか?
私はすべてを発見したいと思っています、(監督のキャリアなど)全てが平等ではないかもしれませんが、全員が同じスタートラインに立っていて、非常に豊かなセレクションだという印象を受けます。かつて東京フィルメックスのセレクションを担当していた市山さんが選んだ作品群ですから、驚きはありません。私は彼が偉大なシネフィルであり、フィルメックスの非常に優れたプログラマーであったことを知っています。ですから、東京国際映画祭のプログラミングディレクターを務められることは、とても良いニュースです。このバラエティに富んだラインアップは、審査員の皆さんにとっても、私自身にとっても豊かな宝になり、良い発見ができることでしょう。
――優れたアジア映画を紹介する東京フィルメックスへの言及もありましたが、ユペールさんはこれまで韓国のホン・サンス監督、フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督ら、アジアの監督の作品にも出演されています。アジア映画に期待されていることはありますか?
私は、それぞれの映画の中で全く異なる経験をしてきました。ですから、フィリピン映画と韓国映画と日本映画……を比較することはできません。それぞれの国が非常に多様な映画表現を持っています。それは、アゼルバイジャンの作品でも同様でしょう。今回のコンペ選出作も非常にバラエティに富んだセレクションとなっています。そして、多くの驚きがもたらされることを期待しています。
――コロナウイルスの世界的なパンデミックは収束したとは言えない状況です。この2年の間、ユペールさんのお仕事にはどのような影響がありましたか?
撮影予定だった映画が一度キャンセルされ、その後延期されました。フランスの2度目のロックダウンの際は、既に多くの仕事を再開していたので、自国の状況よりもこちらの状況が心配でした。また、私はヨーロッパ各地で映画を何本も撮影しているので、それぞれの国がとても影響を受けたと感じています。個人的にはすぐに演劇で仕事を再開することができたのは、幸運でした。
――今年のカンヌ、ベネチアはフランスの女性監督が最高賞を獲得しました。近年、映画界での女性の躍進についてはどう思われますか?
私が映画の仕事を始めてから、常に女性と一緒に仕事をしてきたので、女性がいなかったところに急に女性が現れたようには感じません。昔から女性の映画製作者はいましたし、フランスはその点ではアメリカや日本よりも恵まれた国だったと思います。今、世界で女性の割合は増えています。今年は二人の女性監督の受賞が注目されましたが、『ピアノ・レッスン』(93)でパルムドールを受賞したジェーン・カンピオンも、彼女らと同じ30代での受賞でした。私たちは熱意を持ってこのことに敬意を表さなければなりません。そして、あらゆる職種に女性が増えていくことを期待したいものです。また、映画の女性が常に少数派であることは事実ですが、一方でその状況も以前からそれほど悪いものではなかったと思うのです。
――ユペールさんには何度も日本にお越しいただいています。日本や東京での思い出をお聞かせください。
かつてジョゼフ・ロージー監督の『鱒』(82)で東京や京都、富士山で映画の撮影をしたこともありますし、私にとってとても思い入れの深い国です。私は、一般的にフランス人は、日本へ大きな愛を持っていると思いますし、私が日本に行くことを伝えると、うらやましがられます。ですから、今、ここにいられることを大変幸せに思います。とはいえ、大きな街で知らないことも多いので、仕事の合間に様々な探索をします。町や小さな公園を訪れたり。お気に入りの場所ですか? 渋谷が好きです。あと、東京に滞在しているときは、いつもゴールデン街のバーに行きますね。
©Peter Lindbergh, courtesy Peter Lindbergh Foundation, Paris
第34回東京国際映画祭が10月30日開幕した。今年は、コロナ禍でのリアルな映画祭開催という決断、六本木から日比谷・銀座地区への移転、プログラミングの再編、ジェンダーの平等に向けた努力への誓約という大きな変革を伴う開催となる。コンペティション部門の審査委員長を務めるのはフランスの女優イザベル・ユペール。日本に到着直後のユペールに話を聞いた。
――まずは、コロナ禍という厳しい状況もかかわらず、フランスから東京国際映画祭にお越しくださって感謝申し上げます。
映画祭主催者と市山尚三さんの尽力のおかげで私は、この場に来ることができ、本当に嬉しいです。今の状況は誰にとっても厳しいものであり、このような状況下でも、映画祭を開催することは非常に勇気のあることだと思います。私も何としてもこの映画祭に参加したいと思っていたので、実現できてとても嬉しかったです。
――今年のベルリン国際映画祭銀熊賞、カンヌ国際映画祭では脚本賞などを受賞した、濱口竜介監督とのトークセッションも予定されていますね(10月31日に実施)。
『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』で濱口監督の仕事を発見し、そして『ドライブ・マイ・カー』は現在フランスでも大成功を収めています。私は彼のすべての作品に満足しています。その才能、際立った感受性に目を奪われ、非常に繊細で微妙な感情を知性と才能で翻訳する方法を持つ、非常に素晴らしい監督です。
――今年のコンペティション作品からどのような映画を発見されたいですか?
私はすべてを発見したいと思っています、(監督のキャリアなど)全てが平等ではないかもしれませんが、全員が同じスタートラインに立っていて、非常に豊かなセレクションだという印象を受けます。かつて東京フィルメックスのセレクションを担当していた市山さんが選んだ作品群ですから、驚きはありません。私は彼が偉大なシネフィルであり、フィルメックスの非常に優れたプログラマーであったことを知っています。ですから、東京国際映画祭のプログラミングディレクターを務められることは、とても良いニュースです。このバラエティに富んだラインアップは、審査員の皆さんにとっても、私自身にとっても豊かな宝になり、良い発見ができることでしょう。
――優れたアジア映画を紹介する東京フィルメックスへの言及もありましたが、ユペールさんはこれまで韓国のホン・サンス監督、フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督ら、アジアの監督の作品にも出演されています。アジア映画に期待されていることはありますか?
私は、それぞれの映画の中で全く異なる経験をしてきました。ですから、フィリピン映画と韓国映画と日本映画……を比較することはできません。それぞれの国が非常に多様な映画表現を持っています。それは、アゼルバイジャンの作品でも同様でしょう。今回のコンペ選出作も非常にバラエティに富んだセレクションとなっています。そして、多くの驚きがもたらされることを期待しています。
――コロナウイルスの世界的なパンデミックは収束したとは言えない状況です。この2年の間、ユペールさんのお仕事にはどのような影響がありましたか?
撮影予定だった映画が一度キャンセルされ、その後延期されました。フランスの2度目のロックダウンの際は、既に多くの仕事を再開していたので、自国の状況よりもこちらの状況が心配でした。また、私はヨーロッパ各地で映画を何本も撮影しているので、それぞれの国がとても影響を受けたと感じています。個人的にはすぐに演劇で仕事を再開することができたのは、幸運でした。
――今年のカンヌ、ベネチアはフランスの女性監督が最高賞を獲得しました。近年、映画界での女性の躍進についてはどう思われますか?
私が映画の仕事を始めてから、常に女性と一緒に仕事をしてきたので、女性がいなかったところに急に女性が現れたようには感じません。昔から女性の映画製作者はいましたし、フランスはその点ではアメリカや日本よりも恵まれた国だったと思います。今、世界で女性の割合は増えています。今年は二人の女性監督の受賞が注目されましたが、『ピアノ・レッスン』(93)でパルムドールを受賞したジェーン・カンピオンも、彼女らと同じ30代での受賞でした。私たちは熱意を持ってこのことに敬意を表さなければなりません。そして、あらゆる職種に女性が増えていくことを期待したいものです。また、映画の女性が常に少数派であることは事実ですが、一方でその状況も以前からそれほど悪いものではなかったと思うのです。
――ユペールさんには何度も日本にお越しいただいています。日本や東京での思い出をお聞かせください。
かつてジョゼフ・ロージー監督の『鱒』(82)で東京や京都、富士山で映画の撮影をしたこともありますし、私にとってとても思い入れの深い国です。私は、一般的にフランス人は、日本へ大きな愛を持っていると思いますし、私が日本に行くことを伝えると、うらやましがられます。ですから、今、ここにいられることを大変幸せに思います。とはいえ、大きな街で知らないことも多いので、仕事の合間に様々な探索をします。町や小さな公園を訪れたり。お気に入りの場所ですか? 渋谷が好きです。あと、東京に滞在しているときは、いつもゴールデン街のバーに行きますね。