テーマは「海外に映画を伝えるには」
第34回東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターによる共同トークイベント「アジア交流ラウンジ」の特別セッション「海外に映画を伝えるには」が11月2日に開催され、
『かぞくへ』『由宇子の天秤』の春本雄二郎監督、映画ジャーナリスト/上海国際映画祭プログラマーの徐昊辰氏、東映の国際営業部営業室・髙田志織氏がてい談を行った。モデレーターは、ぴあフィルムフェスティバルのディレクター・荒木啓子氏が務めた。
映画作りでは、海外を含めて「どのように伝えていくか」というのも大きな仕事のひとつ。特別セッションでは、国内のみならず、世界各国の国際映画祭で話題となった『由宇子の天秤』を事例として、トークが繰り広げられた。
春本監督いわく、同作は自主映画ではなく、作家自身が資金調達を行い、忖度に左右されない製作体制を整えた“独立映画”だ。第4回平遥国際映画祭での世界上映を経て、第25回釜山国際映画祭ではニューカレンツアワードを受賞している。徐氏は「『由宇子の天秤』のように、日本国内の配給が決まっていない段階で、世界に視野を向けていた事例は、非常に珍しかったんです」と話し、春本監督の戦略に驚きを隠せない。
徐氏「春本監督は、中国のレビューサイトを調べて、その感想を翻訳していました。自分の作品が、海外でどのような評価を受けているのか――その点に意識を向けていましたよね。春本監督のように、映画を見てもらうだけでなく“見てもらった後のコミュニケーション”を重視している方はなかなかいないんです」
春本監督は、第1作『かぞくへ』で第29回東京国際映画祭に参加した際、ひとつの気づきを得たようだ。「映画祭の魅力は、海外の映画人が来ていること。彼らが「何を考えて映画を作っているのか」ということを知ることができたんですね。その時、僕自身の映画作りに関しては、まだまだ視野が狭いなと感じたんです。海外の映画人は、世界における“自国”というものを見つめていました。自国において、自分がどうしてこのような映画を作るのかというところまで突き詰めている。哲学を持って映画を作っていました。「なぜ、この映画を作ったのか?」という問いかけに対して、きちんとしたステートメントを表明できなければいけないと思います。自身のことを顧みながら「今の日本のフィルムメーカーには、その熟成が足りてないのかもしれない」と感じました」と話していた。
「予算感、製作費の中身、製作後における回収」にも意識を払うべきだという春本監督。「“(映画を)作る”というのは、観客の鑑賞料金を前借するような形で行っているんです。つまりお客さんを呼んでくるという担保がない限りは、夢物語でしかない。そこまで自身の絵図が描けているか。ここまで考えられているかが、今後のフィルムメーカーにとって必要なのかなと思います。セルフプロデュースという側面は、ある程度バランス感覚として獲得していかなければならないのではないかと。これほど手軽に(映画が)撮れるようになったので「セルフプロデュースをするしかない時代」が訪れているのではないと思います」と述べた。
『由宇子の天秤』の海外セールスを担当した髙田氏は「これだけは意識しておいた方がよい点は?」という問いかけに対し、「春本監督のお話でも出ましたが、皆さん、意外と明確で大きなビジョンというものを持っていないような気がしています。枝葉というものはついてくるもの。私の経験上“幹をしっかり持っている人”が強い」と説明する。
髙田「映画は儲からなければ作り続けることはできません。「ライセンスでお金を得る」というのが究極的には必要なんですが、やはり1本目、2本目からバンバン売ることは、ケースとしては非常に少ないんです。春本監督は『由宇子の天秤』をどう見てほしいか――普遍性を追求されていたんですね。私はそのことを伝えたいと思ったのですが、この映画が今すぐに色々な方面に売れるかどうかは、まだわかりません。でも、監督の10年後、20年後――その時に『由宇子の天秤』がどれだけの人に見られたのか。今やっていることは、現段階で結果が出ることもありますが、先の未来に向けての施策でもあります」
荒木氏が、続いてトークの題材としたのは「普遍性」だ。春本監督が「海外でよく言われるのは「自分たちにもこういうことがある」「この登場人物の気持ちは理解できる」というもの。非常にシンプルなのですが「人を描く」こと。人の感情は変わりません。それを取り巻く環境だけが変わる。そこを掘り下げていけば(世界でも)根底に通じるものが生まれるはず」と話すと、徐氏は「おっしゃる通り、本質的には「人間を描くこと」ですよね。そこに社会背景などの様子を積み重ねて、作家性を出していく。これがないと“越境”には繋がらないと思います」と同意していた。
徐氏が強調したのは「日本は、海外に向けた宣伝システムが不十分。スピード感を意識して、国際的な感覚で情報を出していくべき」という点。すると、荒木氏は「今年、ナワポン・タムロンラタナリットというタイの監督を特集したんですが、彼は日本が大好きなんですね。その方の作品を見ていると「日本の監督が、こういう作品を生み出しても良かったよね」と感じてしまう。彼はInstagramを使って、英語とタイ語で自身の動向をどんどん発信しています。デビュー10周年なんですが、たったそれだけの期間で、日本の映画界が30年かけてやってきたことを終えているんです。スピード感が違う。彼を見た時に「私たちはやり方を変えなければならない」と実感しましたね」と胸中を吐露した。
今回のイベントでは、国際的に活躍する監督陣からの「映画祭体験」にまつわるコメントも披露された。
諏訪敦彦監督「日本人が好きな謙遜、沈黙にはなんの美徳もありません。うまく言葉で言えないということも通用しません。片言の英語でかまわない。話したい人と話し、会いたい人と会う。シンプルな行動がベスト。あなたが映画を信じるならば、国境というボーダーは無いと思ってよい」
塚本晋也監督「映画祭は冒険です。「え? 今ここでこれが起きる?」ということがいっぱいあります。「郷に入れば郷に従え」が一番大切」
是枝裕和監督「大切なのは、人とできるだけ会って話すこと。通訳さんにも、映画祭関係者にも、他の国から来た監督や役者にも、積極的に自分の映画について話す。日本では、普段なかなかしないことです。ランチをしながら皆で論争になって、黙って聞いていたら「あなたはどう思う?」と聞かれた。「うーん、嫌いじゃない」と普段よくやる答え方をしたら、通訳の方に「何それ?どう訳したらいいの?ちゃんとイエスなのか、ノーなのか、ラブなのか、ヘイトなのか。自分の意見を持って言葉にしないと駄目。馬鹿だと思われる」と言われて、出来るだけそうするようにいます。“出来るだけ”でいいんです。無理はしないで。ただ、その作品の監督である以上、自分自身が作品の宣伝マン、営業マンだと、立場を変えて人と接するようにした方がいい気がします。アジアの他の国から来たインディペンデントの監督たちはみんなそうしている。そうやって国外にパートナーを見つけないと、自国の中だけでは作り続けられないから」
黒沢清監督「映画祭は、世界中からものすごいシネフィルが集合しているので、シネフィルの私は、そういう人たちと出会え、作品を通して自分を知ってもらえることが喜びです。それは上映後の質疑応答、ジャーナリストからの質問に答えることで、もたらされます。映画祭では、あらゆる会話が大切。監督の話というのは、その映画と密接に関連している。それぞれの監督の興味があること――例えば、政治、経済、美術、文化、歴史など、興味のあることが話すことで広がる場所が映画祭だと思います。だからこそ、わからないこと、考えてもいなかったことは、正直に伝えることが大事です。作品が全てで、話は必要ないと思う監督もいらっしゃいます。そのような人は、その信念を貫いて“全く話さない”ということが大事だと思います。誠実に話をする。それによって素晴らしい出会いや刺激や発見が待っているのが映画祭です」
映画祭とは、自分を知ってもらうための最大の場所であり、そこでの体験が長く続いていくことで自分の裾野が広がっていく。春本監督は「会話をするうえで、自分がどのようなオピニオンを持っているのかということを、まずは言わないといけない」と改めて認識したようだ。
春本監督「例えば、外国で出会う人たちというのは、もしかしたら今後パートナーになるかもしれないですよね。そうした時に、相手は「この作家は、どういうことを考えているのか」ということを知りたがると思うんです。「表現をする」というのは、脚本を書いて、人とお金を集めて、撮るだけの話ではない。「どういう哲学を持っているのか」「どのような表現をしたいのか」「どこに向かっていきたいのか」ということが見えてくれば、きちんと信頼へと繋がっていくんです。それによってパートナーとして組んでもいい、お金を預けてもいいと思われる。そういう姿勢が大事だなと思います」
トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」は、7日まで毎日オンライン配信を行う。Zoomビデオウェビナー(登録無料)で視聴可。第34回東京国際映画祭は、11月8日まで、日比谷、有楽町、銀座地区で開催。
テーマは「海外に映画を伝えるには」
第34回東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターによる共同トークイベント「アジア交流ラウンジ」の特別セッション「海外に映画を伝えるには」が11月2日に開催され、
『かぞくへ』『由宇子の天秤』の春本雄二郎監督、映画ジャーナリスト/上海国際映画祭プログラマーの徐昊辰氏、東映の国際営業部営業室・髙田志織氏がてい談を行った。モデレーターは、ぴあフィルムフェスティバルのディレクター・荒木啓子氏が務めた。
映画作りでは、海外を含めて「どのように伝えていくか」というのも大きな仕事のひとつ。特別セッションでは、国内のみならず、世界各国の国際映画祭で話題となった『由宇子の天秤』を事例として、トークが繰り広げられた。
春本監督いわく、同作は自主映画ではなく、作家自身が資金調達を行い、忖度に左右されない製作体制を整えた“独立映画”だ。第4回平遥国際映画祭での世界上映を経て、第25回釜山国際映画祭ではニューカレンツアワードを受賞している。徐氏は「『由宇子の天秤』のように、日本国内の配給が決まっていない段階で、世界に視野を向けていた事例は、非常に珍しかったんです」と話し、春本監督の戦略に驚きを隠せない。
徐氏「春本監督は、中国のレビューサイトを調べて、その感想を翻訳していました。自分の作品が、海外でどのような評価を受けているのか――その点に意識を向けていましたよね。春本監督のように、映画を見てもらうだけでなく“見てもらった後のコミュニケーション”を重視している方はなかなかいないんです」
春本監督は、第1作『かぞくへ』で第29回東京国際映画祭に参加した際、ひとつの気づきを得たようだ。「映画祭の魅力は、海外の映画人が来ていること。彼らが「何を考えて映画を作っているのか」ということを知ることができたんですね。その時、僕自身の映画作りに関しては、まだまだ視野が狭いなと感じたんです。海外の映画人は、世界における“自国”というものを見つめていました。自国において、自分がどうしてこのような映画を作るのかというところまで突き詰めている。哲学を持って映画を作っていました。「なぜ、この映画を作ったのか?」という問いかけに対して、きちんとしたステートメントを表明できなければいけないと思います。自身のことを顧みながら「今の日本のフィルムメーカーには、その熟成が足りてないのかもしれない」と感じました」と話していた。
「予算感、製作費の中身、製作後における回収」にも意識を払うべきだという春本監督。「“(映画を)作る”というのは、観客の鑑賞料金を前借するような形で行っているんです。つまりお客さんを呼んでくるという担保がない限りは、夢物語でしかない。そこまで自身の絵図が描けているか。ここまで考えられているかが、今後のフィルムメーカーにとって必要なのかなと思います。セルフプロデュースという側面は、ある程度バランス感覚として獲得していかなければならないのではないかと。これほど手軽に(映画が)撮れるようになったので「セルフプロデュースをするしかない時代」が訪れているのではないと思います」と述べた。
『由宇子の天秤』の海外セールスを担当した髙田氏は「これだけは意識しておいた方がよい点は?」という問いかけに対し、「春本監督のお話でも出ましたが、皆さん、意外と明確で大きなビジョンというものを持っていないような気がしています。枝葉というものはついてくるもの。私の経験上“幹をしっかり持っている人”が強い」と説明する。
髙田「映画は儲からなければ作り続けることはできません。「ライセンスでお金を得る」というのが究極的には必要なんですが、やはり1本目、2本目からバンバン売ることは、ケースとしては非常に少ないんです。春本監督は『由宇子の天秤』をどう見てほしいか――普遍性を追求されていたんですね。私はそのことを伝えたいと思ったのですが、この映画が今すぐに色々な方面に売れるかどうかは、まだわかりません。でも、監督の10年後、20年後――その時に『由宇子の天秤』がどれだけの人に見られたのか。今やっていることは、現段階で結果が出ることもありますが、先の未来に向けての施策でもあります」
荒木氏が、続いてトークの題材としたのは「普遍性」だ。春本監督が「海外でよく言われるのは「自分たちにもこういうことがある」「この登場人物の気持ちは理解できる」というもの。非常にシンプルなのですが「人を描く」こと。人の感情は変わりません。それを取り巻く環境だけが変わる。そこを掘り下げていけば(世界でも)根底に通じるものが生まれるはず」と話すと、徐氏は「おっしゃる通り、本質的には「人間を描くこと」ですよね。そこに社会背景などの様子を積み重ねて、作家性を出していく。これがないと“越境”には繋がらないと思います」と同意していた。
徐氏が強調したのは「日本は、海外に向けた宣伝システムが不十分。スピード感を意識して、国際的な感覚で情報を出していくべき」という点。すると、荒木氏は「今年、ナワポン・タムロンラタナリットというタイの監督を特集したんですが、彼は日本が大好きなんですね。その方の作品を見ていると「日本の監督が、こういう作品を生み出しても良かったよね」と感じてしまう。彼はInstagramを使って、英語とタイ語で自身の動向をどんどん発信しています。デビュー10周年なんですが、たったそれだけの期間で、日本の映画界が30年かけてやってきたことを終えているんです。スピード感が違う。彼を見た時に「私たちはやり方を変えなければならない」と実感しましたね」と胸中を吐露した。
今回のイベントでは、国際的に活躍する監督陣からの「映画祭体験」にまつわるコメントも披露された。
諏訪敦彦監督「日本人が好きな謙遜、沈黙にはなんの美徳もありません。うまく言葉で言えないということも通用しません。片言の英語でかまわない。話したい人と話し、会いたい人と会う。シンプルな行動がベスト。あなたが映画を信じるならば、国境というボーダーは無いと思ってよい」
塚本晋也監督「映画祭は冒険です。「え? 今ここでこれが起きる?」ということがいっぱいあります。「郷に入れば郷に従え」が一番大切」
是枝裕和監督「大切なのは、人とできるだけ会って話すこと。通訳さんにも、映画祭関係者にも、他の国から来た監督や役者にも、積極的に自分の映画について話す。日本では、普段なかなかしないことです。ランチをしながら皆で論争になって、黙って聞いていたら「あなたはどう思う?」と聞かれた。「うーん、嫌いじゃない」と普段よくやる答え方をしたら、通訳の方に「何それ?どう訳したらいいの?ちゃんとイエスなのか、ノーなのか、ラブなのか、ヘイトなのか。自分の意見を持って言葉にしないと駄目。馬鹿だと思われる」と言われて、出来るだけそうするようにいます。“出来るだけ”でいいんです。無理はしないで。ただ、その作品の監督である以上、自分自身が作品の宣伝マン、営業マンだと、立場を変えて人と接するようにした方がいい気がします。アジアの他の国から来たインディペンデントの監督たちはみんなそうしている。そうやって国外にパートナーを見つけないと、自国の中だけでは作り続けられないから」
黒沢清監督「映画祭は、世界中からものすごいシネフィルが集合しているので、シネフィルの私は、そういう人たちと出会え、作品を通して自分を知ってもらえることが喜びです。それは上映後の質疑応答、ジャーナリストからの質問に答えることで、もたらされます。映画祭では、あらゆる会話が大切。監督の話というのは、その映画と密接に関連している。それぞれの監督の興味があること――例えば、政治、経済、美術、文化、歴史など、興味のあることが話すことで広がる場所が映画祭だと思います。だからこそ、わからないこと、考えてもいなかったことは、正直に伝えることが大事です。作品が全てで、話は必要ないと思う監督もいらっしゃいます。そのような人は、その信念を貫いて“全く話さない”ということが大事だと思います。誠実に話をする。それによって素晴らしい出会いや刺激や発見が待っているのが映画祭です」
映画祭とは、自分を知ってもらうための最大の場所であり、そこでの体験が長く続いていくことで自分の裾野が広がっていく。春本監督は「会話をするうえで、自分がどのようなオピニオンを持っているのかということを、まずは言わないといけない」と改めて認識したようだ。
春本監督「例えば、外国で出会う人たちというのは、もしかしたら今後パートナーになるかもしれないですよね。そうした時に、相手は「この作家は、どういうことを考えているのか」ということを知りたがると思うんです。「表現をする」というのは、脚本を書いて、人とお金を集めて、撮るだけの話ではない。「どういう哲学を持っているのか」「どのような表現をしたいのか」「どこに向かっていきたいのか」ということが見えてくれば、きちんと信頼へと繋がっていくんです。それによってパートナーとして組んでもいい、お金を預けてもいいと思われる。そういう姿勢が大事だなと思います」
トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」は、7日まで毎日オンライン配信を行う。Zoomビデオウェビナー(登録無料)で視聴可。第34回東京国際映画祭は、11月8日まで、日比谷、有楽町、銀座地区で開催。