対談したイザベル・ユペールと濱口竜介監督、モデレーターの土田環
第34回東京国際映画祭と国際交流基金(JF)の共催プログラムとなる
トークシリーズ@アジア交流ラウンジ「イザベル・ユペール×濱口竜介」が10月31日に開催され、コンペティション部門の審査委員長を務めるユペールと、『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』の濱口監督が対談を行った。モデレーターは、山形国際ドキュメンタリー映画祭プログラムコーディネーターで早稲田大学講師(専任)の土田環氏が務めた。
まず、トークのテーマとなったのは、お互いの印象、好きな作品について。ユペールは、フランスで公開された濱口監督作品は全て鑑賞済み。『偶然と想像』も既に見たそうだが「そのなかで好きな作品を選ぶことは難しい」という。「濱口作品を見ることで、強力な映画言語を新たに発見することができました。映画によって、本質的で、一番重要なことが表現されている。それは“人が言葉で表現すること”と“沈黙”の間に何が起きるのかというものです」と話し、それらは『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』における共通項だと指摘した。
濱口監督は、ユペールの発言に「ありがとうございます。脳がとろけるような気持ちです」と笑顔を浮かべる。「イザベル・ユペールさんは、映画史そのものだと思います。自分は監督の名前で映画を見るという傾向があったのですが、好きな作品を見ていると、常にその作品の中にいらっしゃいました。今日思い当たったのは、イザベル・ユペールさんは“演技をしていること”を気にしたことがないのではないかというもの。映画の中に“いつも存在している”。それは当たり前のことのように聞こえますが、全く違います。演じるということは、とても不安なもの。その上でカメラの前に存在できるというのは、稀な事だと思っています」と語り、印象的な出演作として『エル ELLE』(ポール・バーホーベン監督)、クロード・シャブロル監督との仕事を挙げ、両監督の作品における共通点を示す。
濱口監督「“悪”というようなものへの理解。この世の中には、何か悪いことが起こる。世界とはそういう場所。それらをペシミスティックなものにするのではなく、そこから生きる力をつかみ取っていく。この共通点の中心を担っているのが、イザベル・ユペールさんだと思っています」
ユペールは「善と悪というテーマは、シャブロル監督の映画の中にいつもあるもの」と説明。「個人が直接的に善悪を体現するのではありません。周囲にあるものに、人間が汚されてしまい、悪に陥ってしまう。登場人物ではなく、状況が悪いのです。フィクションに、人が理想とするようなものを求めてはいけません。世界を理想化して描いたり、ロマンチックになったり、ロマネスクになったものを、映画に求めてはならないと思うのです。シャブロル監督が描いた世界のバージョンは、不幸なことに、我々が生きている世界。そこに真実と真理があったのです」と語り、監督が俳優との仕事において試みるべきこという話題に接続していく。
ユペール「それは、俳優が考えていること、思想があるということを見せるというもの。映画はアクションがあり、俳優の動きがある。思想を見せるということは稀なことなのかもしれません。ところが、濱口監督の作品は、俳優たちの考えていることがはっきり出ています。この「思想を見せる」ということの重要性を、最初に聞かされたのはジャン=リュック・ゴダールでした。俳優が考えているだけでは不十分です。監督がスクリーンにおいて、それを見えるようにしなければならないのです。これが監督の仕事。そして、濱口監督は、このことを実践していると思います」
濱口監督の持論では「俳優=不安を感じている存在」。演出時に意識しているのは、その不安を和らげるというものだ。「(不安を抱えていれば)周りの状況を見ることができない。これを解消するための唯一の方法は「準備をする」ことなのではないかと」と前置きし、ユペールに対して「カメラの前に立つまでの準備」についての質問を投げかけた。
ユペール「これは映画に対する信頼の問題ではないかと思いました。映画によって、私たちは動かされます。映画そのものが、登場人物の周囲にある全てのものを引き受けてくれるのです。舞台、装置、照明、色、衣装――これが我々を動かす要素になっていきます。カメラが生まれたのは、フロイトが“無意識”を発見した頃と同じ時期ですよね。見えるものと見えないもの、沈黙と言葉。フロイトは、そのようなものを発見しました。映画においては、カメラが無意識の責任を担ってくれるのです。カメラは力がある存在であり、それは私たちを見ています。私たちの中に何があるのかを探られます。顔に表情が出過ぎてしまう場合は、映画に対しての信頼がない。怖く、不安であるから、表情が出過ぎてしまうのです。映画を信頼するということは、自分を信頼することでもあります。カメラが全ての感情や感覚をとらえているのですから、それ以上のことを俳優がすれば、余分なものになってしまいます。もちろん一つの定義に収まるようなことではありませんが、私の場合は、今述べたようなことを意識しています」
この「信頼」というワードは、濱口監督にとっても重要なもの。「映画を作り始めて20年くらいになりますが、段々とカメラの能力というものを信頼するということを学んできました。カメラは、思っているよりも、多くのことを映し出してしまうものなんです。映したいものはなかなか映らず、映らないと思っているものが映ってしまう。このような問題を起こすのは、人にカメラを向ける場合。人の体とは、本人が思っている以上に“喋っている”んです。大切なことは、カメラがとらえる人の体に“映すべき価値”があると、自身で信頼することなのかなと思います」と語っていた。
濱口監督は、各作品において、ジャン・ルノワールが提唱した「イタリア式本読み」を取り入れている。ユペールは「演じる前に不安というものを感じませんか?」という濱口監督の質問に対して、この「イタリア式本読み」を例に出しながら、自らの意見を述べ始めた。
ユペール「「イタリア式本読み」によって、俳優は機械的になりますよね。それはいわば自分を捨てるという行為です。これを実践することで、最後には真実を見つけることになるのでしょう。モーリス・ピアラ監督の言葉を思い出しました。彼はいつもこんなことを言っていました。「我々は、いつも最高の映画を見ることはできない。スタートの前、そしてカットの後に起きたことが最高だからだ」。それは「イタリア式本読み」による効果にも似た、何か自然なものが出てくるからでしょう。濱口監督の質問にもお答えします。私はカメラの前に立つことについて、「怖い」と感じたことは一度もありません。演技をしなければならないということは、私にとって熱くも冷たくもない。怖くもない。あえて言うならば、どうでもいいのです。役を演じる喜びだけを考えていればいい。それ以上のことを考える必要はないのです」
「「信頼」という意味が少しわかったような気がします。監督、もしくはカメラのオーダーに対して、それに答えることで“役を掴む”と言いますか……まずは、フィクションにおける“命令”に従ってみる。だからこそ、ユペールさんはあれほど自由に存在することができるのではないか」と濱口監督。すると、ユペールは「カメラのポジションにおける問題も絡んできますよね」と話題を発展させる。
ユペール「映画はひとつの言語です。そして、監督はカメラの位置によって、俳優に話しかけているのだと思います。俳優はカメラの位置に対して、多大な感受性を持っています。カメラが遠くにあれば体の動きをとらえ、近くにあれば視線をとらえています。カメラの位置が、本当の演技指導になっているのです。そのポジションは、監督が選択するもの。映画言語が正しければ、カメラの位置は決まっていくんです。どのように演技をすればいいのか、疑問を抱くことがあります。そのような時は、カメラの位置を見れば、大半の場合、答えが出てくるんです」
濱口監督「私の先生でもある黒沢清さんの仰っていたことと繋がるものがありました。黒沢さんが仰っていたのは「監督の仕事とは、まずカメラをどこに置くかを決めること。そして、いつ回し始め、いつ回し終えるかを決める。これが監督の最も根本的な仕事」というもの。ユペールさんから『カメラの位置が俳優に与える影響』を直接聞けたことは、私にとって大きなこと。この相互作用によって映画が出来ていく」
続けて、濱口監督がユペールに尋ねたのは、ホン・サンス監督(『3人のアンヌ』『クレアのカメラ』)との仕事についてだ。
濱口監督「撮影当日の朝に脚本が渡されるという、ある種の伝説もあります。自由な映画作りをされている印象ですが、その手法はいかがでしたか?」
ユペール「(ホン・サンス組は)キャリアの中でも、最も情熱をかきたてられるような、素晴らしい経験となりました。ホン・サンス監督は、時間の節約の仕方、セリフの作り方にしても、実にユニークな方です。完成した作品は、1000%“映画”になっています。彼独自の方法で、そこに辿り着くのです。ホン・サンス監督の場合は、俳優よりも先に撮影したい場所を選びます。子どもが、まずは大きな家の絵を描き、その中に住む人々を段々と入れていくようなものです。監督は「この場所に来たいか?」と聞いてきました。そこから漠然としたストーリーを考え始めるので、シナリオもありません。けれども、その場所についての情報を与えられているので、想像力が働いていきます。やがて、その場所における夢を見始めるんです」
濱口監督は『3人のアンヌ』『クレアのカメラ』について「これまで出演された作品のなかでも、イザベル・ユペールさんが一番可愛らしいと言いますか……本当に素敵な姿が映っているので、大好きな作品です。今のお話を聞いて、いつかそのような境地に辿り着けたら、どんなに素晴らしいだろうと思いました」と告白。また、土田氏から「ユペールさんは『偶然と想像』をご覧になって、『音楽がきっかけとなり、それぞれの作品が連なっていくさまが、ホン・サンス作品を想起させる』と仰ってましたね。濱口監督、その言葉は嬉しかったですよね?」と言葉を投げかけられると「露骨に似ているところもあるので、なんとも言えない部分はありますけどね(笑)」とはにかんでいた。
トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」は、7日まで毎日オンライン配信を行う。Zoomビデオウェビナー(登録無料)で視聴可。第34回東京国際映画祭は、11月8日まで、日比谷、有楽町、銀座地区で開催。
対談したイザベル・ユペールと濱口竜介監督、モデレーターの土田環
第34回東京国際映画祭と国際交流基金(JF)の共催プログラムとなる
トークシリーズ@アジア交流ラウンジ「イザベル・ユペール×濱口竜介」が10月31日に開催され、コンペティション部門の審査委員長を務めるユペールと、『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』の濱口監督が対談を行った。モデレーターは、山形国際ドキュメンタリー映画祭プログラムコーディネーターで早稲田大学講師(専任)の土田環氏が務めた。
まず、トークのテーマとなったのは、お互いの印象、好きな作品について。ユペールは、フランスで公開された濱口監督作品は全て鑑賞済み。『偶然と想像』も既に見たそうだが「そのなかで好きな作品を選ぶことは難しい」という。「濱口作品を見ることで、強力な映画言語を新たに発見することができました。映画によって、本質的で、一番重要なことが表現されている。それは“人が言葉で表現すること”と“沈黙”の間に何が起きるのかというものです」と話し、それらは『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』における共通項だと指摘した。
濱口監督は、ユペールの発言に「ありがとうございます。脳がとろけるような気持ちです」と笑顔を浮かべる。「イザベル・ユペールさんは、映画史そのものだと思います。自分は監督の名前で映画を見るという傾向があったのですが、好きな作品を見ていると、常にその作品の中にいらっしゃいました。今日思い当たったのは、イザベル・ユペールさんは“演技をしていること”を気にしたことがないのではないかというもの。映画の中に“いつも存在している”。それは当たり前のことのように聞こえますが、全く違います。演じるということは、とても不安なもの。その上でカメラの前に存在できるというのは、稀な事だと思っています」と語り、印象的な出演作として『エル ELLE』(ポール・バーホーベン監督)、クロード・シャブロル監督との仕事を挙げ、両監督の作品における共通点を示す。
濱口監督「“悪”というようなものへの理解。この世の中には、何か悪いことが起こる。世界とはそういう場所。それらをペシミスティックなものにするのではなく、そこから生きる力をつかみ取っていく。この共通点の中心を担っているのが、イザベル・ユペールさんだと思っています」
ユペールは「善と悪というテーマは、シャブロル監督の映画の中にいつもあるもの」と説明。「個人が直接的に善悪を体現するのではありません。周囲にあるものに、人間が汚されてしまい、悪に陥ってしまう。登場人物ではなく、状況が悪いのです。フィクションに、人が理想とするようなものを求めてはいけません。世界を理想化して描いたり、ロマンチックになったり、ロマネスクになったものを、映画に求めてはならないと思うのです。シャブロル監督が描いた世界のバージョンは、不幸なことに、我々が生きている世界。そこに真実と真理があったのです」と語り、監督が俳優との仕事において試みるべきこという話題に接続していく。
ユペール「それは、俳優が考えていること、思想があるということを見せるというもの。映画はアクションがあり、俳優の動きがある。思想を見せるということは稀なことなのかもしれません。ところが、濱口監督の作品は、俳優たちの考えていることがはっきり出ています。この「思想を見せる」ということの重要性を、最初に聞かされたのはジャン=リュック・ゴダールでした。俳優が考えているだけでは不十分です。監督がスクリーンにおいて、それを見えるようにしなければならないのです。これが監督の仕事。そして、濱口監督は、このことを実践していると思います」
濱口監督の持論では「俳優=不安を感じている存在」。演出時に意識しているのは、その不安を和らげるというものだ。「(不安を抱えていれば)周りの状況を見ることができない。これを解消するための唯一の方法は「準備をする」ことなのではないかと」と前置きし、ユペールに対して「カメラの前に立つまでの準備」についての質問を投げかけた。
ユペール「これは映画に対する信頼の問題ではないかと思いました。映画によって、私たちは動かされます。映画そのものが、登場人物の周囲にある全てのものを引き受けてくれるのです。舞台、装置、照明、色、衣装――これが我々を動かす要素になっていきます。カメラが生まれたのは、フロイトが“無意識”を発見した頃と同じ時期ですよね。見えるものと見えないもの、沈黙と言葉。フロイトは、そのようなものを発見しました。映画においては、カメラが無意識の責任を担ってくれるのです。カメラは力がある存在であり、それは私たちを見ています。私たちの中に何があるのかを探られます。顔に表情が出過ぎてしまう場合は、映画に対しての信頼がない。怖く、不安であるから、表情が出過ぎてしまうのです。映画を信頼するということは、自分を信頼することでもあります。カメラが全ての感情や感覚をとらえているのですから、それ以上のことを俳優がすれば、余分なものになってしまいます。もちろん一つの定義に収まるようなことではありませんが、私の場合は、今述べたようなことを意識しています」
この「信頼」というワードは、濱口監督にとっても重要なもの。「映画を作り始めて20年くらいになりますが、段々とカメラの能力というものを信頼するということを学んできました。カメラは、思っているよりも、多くのことを映し出してしまうものなんです。映したいものはなかなか映らず、映らないと思っているものが映ってしまう。このような問題を起こすのは、人にカメラを向ける場合。人の体とは、本人が思っている以上に“喋っている”んです。大切なことは、カメラがとらえる人の体に“映すべき価値”があると、自身で信頼することなのかなと思います」と語っていた。
濱口監督は、各作品において、ジャン・ルノワールが提唱した「イタリア式本読み」を取り入れている。ユペールは「演じる前に不安というものを感じませんか?」という濱口監督の質問に対して、この「イタリア式本読み」を例に出しながら、自らの意見を述べ始めた。
ユペール「「イタリア式本読み」によって、俳優は機械的になりますよね。それはいわば自分を捨てるという行為です。これを実践することで、最後には真実を見つけることになるのでしょう。モーリス・ピアラ監督の言葉を思い出しました。彼はいつもこんなことを言っていました。「我々は、いつも最高の映画を見ることはできない。スタートの前、そしてカットの後に起きたことが最高だからだ」。それは「イタリア式本読み」による効果にも似た、何か自然なものが出てくるからでしょう。濱口監督の質問にもお答えします。私はカメラの前に立つことについて、「怖い」と感じたことは一度もありません。演技をしなければならないということは、私にとって熱くも冷たくもない。怖くもない。あえて言うならば、どうでもいいのです。役を演じる喜びだけを考えていればいい。それ以上のことを考える必要はないのです」
「「信頼」という意味が少しわかったような気がします。監督、もしくはカメラのオーダーに対して、それに答えることで“役を掴む”と言いますか……まずは、フィクションにおける“命令”に従ってみる。だからこそ、ユペールさんはあれほど自由に存在することができるのではないか」と濱口監督。すると、ユペールは「カメラのポジションにおける問題も絡んできますよね」と話題を発展させる。
ユペール「映画はひとつの言語です。そして、監督はカメラの位置によって、俳優に話しかけているのだと思います。俳優はカメラの位置に対して、多大な感受性を持っています。カメラが遠くにあれば体の動きをとらえ、近くにあれば視線をとらえています。カメラの位置が、本当の演技指導になっているのです。そのポジションは、監督が選択するもの。映画言語が正しければ、カメラの位置は決まっていくんです。どのように演技をすればいいのか、疑問を抱くことがあります。そのような時は、カメラの位置を見れば、大半の場合、答えが出てくるんです」
濱口監督「私の先生でもある黒沢清さんの仰っていたことと繋がるものがありました。黒沢さんが仰っていたのは「監督の仕事とは、まずカメラをどこに置くかを決めること。そして、いつ回し始め、いつ回し終えるかを決める。これが監督の最も根本的な仕事」というもの。ユペールさんから『カメラの位置が俳優に与える影響』を直接聞けたことは、私にとって大きなこと。この相互作用によって映画が出来ていく」
続けて、濱口監督がユペールに尋ねたのは、ホン・サンス監督(『3人のアンヌ』『クレアのカメラ』)との仕事についてだ。
濱口監督「撮影当日の朝に脚本が渡されるという、ある種の伝説もあります。自由な映画作りをされている印象ですが、その手法はいかがでしたか?」
ユペール「(ホン・サンス組は)キャリアの中でも、最も情熱をかきたてられるような、素晴らしい経験となりました。ホン・サンス監督は、時間の節約の仕方、セリフの作り方にしても、実にユニークな方です。完成した作品は、1000%“映画”になっています。彼独自の方法で、そこに辿り着くのです。ホン・サンス監督の場合は、俳優よりも先に撮影したい場所を選びます。子どもが、まずは大きな家の絵を描き、その中に住む人々を段々と入れていくようなものです。監督は「この場所に来たいか?」と聞いてきました。そこから漠然としたストーリーを考え始めるので、シナリオもありません。けれども、その場所についての情報を与えられているので、想像力が働いていきます。やがて、その場所における夢を見始めるんです」
濱口監督は『3人のアンヌ』『クレアのカメラ』について「これまで出演された作品のなかでも、イザベル・ユペールさんが一番可愛らしいと言いますか……本当に素敵な姿が映っているので、大好きな作品です。今のお話を聞いて、いつかそのような境地に辿り着けたら、どんなに素晴らしいだろうと思いました」と告白。また、土田氏から「ユペールさんは『偶然と想像』をご覧になって、『音楽がきっかけとなり、それぞれの作品が連なっていくさまが、ホン・サンス作品を想起させる』と仰ってましたね。濱口監督、その言葉は嬉しかったですよね?」と言葉を投げかけられると「露骨に似ているところもあるので、なんとも言えない部分はありますけどね(笑)」とはにかんでいた。
トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」は、7日まで毎日オンライン配信を行う。Zoomビデオウェビナー(登録無料)で視聴可。第34回東京国際映画祭は、11月8日まで、日比谷、有楽町、銀座地区で開催。