取材に応じた是枝裕和監督
©藤井保
現在開催中の第34回東京国際映画祭で、国際交流基金との共催プログラムの一環として行っている「トークシリーズ@アジア交流ラウンジ」が好評を博している。アジアを含む世界各国・地域を代表する映画人と、第一線で活躍する日本の映画人が語り合うトークシリーズ。本企画の検討会議メンバーの中軸を担う是枝裕和監督に、企画意図はもちろんのこと、映画祭のあるべき姿についても話を聞いた。
是枝監督の映画祭デビューは、初監督作『幻の光』が金のオゼッラ賞を受賞した第52回ベネチア国際映画祭。その後、『DISTANCE』が第54回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初めて選出されてからは、カンヌの常連に。第57回に出品された『誰も知らない』では柳楽優弥に史上最年少、日本人では初めて最優秀男優賞をもたらした。2013年の第66回では『そして父になる』が審査員賞を戴冠し、18年の第71回では『万引き家族』が最高賞となるパルムドールに輝いた。世界中の映画祭を体感してきた是枝監督だからこそ、これまで何度となく愛のある提言を東京国際映画祭にしてきた。
そんな中で昨年から始まった「アジア交流ラウンジ」は、東京国際映画祭に新たな“風”を吹き込んでいる。昨年は、韓国映画『はちどり』のキム・ボラ監督と橋本愛の対談を皮切りに、「映画の未来と配信」と題して是枝監督と行定勲監督、マレーシアのリム・カーワイ監督、スターサンズの河村光庸社長、東宝の松岡宏泰常務、Netflixの坂本和隆コンテンツ・アクイジション部門ディレクターが一堂に会して語り合った回が大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。
「Netflixの坂本さんは、僕が声をかけました。それは現在、カンヌやベネチアを見ても揺れているから。映画ってなんだ? って。配信をどうとらえるのか……ということは、避けて通れない。それは、映画祭が自分たちで考え、哲学をちゃんと示すべき。ただ、日本は業界も含めて揺らがない。そこで、ああいう形で映画祭に配信のトップを呼んで刺激を与えるというのは大事なことだなと。和やかに話すだけではなく、意見を戦わす場も必要なんじゃないかと感じたんです。確かにあの回は、良かったんじゃないかな」
それから1年が経過し、Netflix、Amazon Prime Video、Disney+など配信プラットフォームの勢いは衰えず、テレビCMを目にすることも多い。新型コロナウイルスの感染拡大により、テレワークの推奨など世界中の人々のライフスタイルが大きく変わったことも、これらの普及を推し進めたともいえる。
「僕ら作り手にとっては、良い形で共存してもらうのがベスト。あえて脅威と言わせてもらうけれど、配信の脅威が迫ったとき、日本の映画業界は、この先も映画館で観る映画というものをどういう風に育て、守っていくのかを示すべきでした。ただ、コロナを経ても業界からはそういう声が出てこなかった。作り手の方はインディペンデントの皆さんが危機感を募らせて声を挙げたり、ミニシアターエイドの活動をやったり、それに映画と映画館を愛するファンの方たちも力強く応えてくれました。更に言えばNetflixはそれに関して資金援助しますという態度を示したのにもかかわらず映画業界はいったい……。僕が感じることではないかもしれないけれど、忸怩たる思いがあったので、そういうものを去年はぶつけてみたいという考えもありました」
言うは易く行うは難し、是枝監督は“行動”の人だ。問題提起することを厭わず、自らの言動で道を示す。アジア交流ラウンジを構築したのも、作品が繋いできた縁、映画祭が繋いできた縁がいかにかけがえのないものであるかを、後進に伝えるという意味合いも込められているのではないだろうか。
「東京国際映画祭にしかない魅力が何かと問われたとき、これまで僕は「今はない」と答え続けてきたわけですが、他のアジアの国と比べて日本映画の歴史って圧倒的に豊かだという事実があります。ヨーロッパへ行くと特に感じるのですが、本当に実に多くの観客が小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男の作品を観ている。100年もさかのぼってというのは、他のアジアの国の監督ではないこと。そのことは、映画祭側にも何度か伝えたことがありますし、もし往年の名優、たとえば若尾文子さんをゲストに呼んで特集上映を企画したら、「だったら行きたい!」と考える人は世界中にいるはずなんです。そういう歴史的視点を生かして、日本映画史の豊かさを東京国際映画祭で示していくというのは大事なことだと思います」
そう話す是枝監督の脳裏には、カンヌ国際映画祭で目撃した光景を忘れられないからだという。
「カンヌで『太陽がいっぱい』をアラン・ドロンと一緒に観るというイベントがあったのですが、すごく盛り上がるんですよ。自分たちがいま映画を撮れているのは誰のおかげなのかということを、映画人が歴史をさかのぼって示すことも大事だなと感じました。今どういうものが作られているか、これからどういう作り手を見つけていくのかという、現在と未来の視点に加えて、時代をさかのぼって豊かな歴史にきちんと目を向けていく。今までも全くなかったわけではないけれど、視野に入れていくことが欠けていたと思うんです。この映画祭でも予算を使って修復して上映したこともありましたし、松竹は予算を組んで溝口の作品を4Kデジタル修復している。僕もカンヌで『残菊物語』の上映に立ち会ったけれど、満席でしたから。そういうこともきちんと取り組んでいけば、それはこの映画祭の強みになっていくはずです」
さらに、18年に死去した樹木希林さんと参加したスペインのサン・セバスチャン国際映画祭でのひと時についても明かしてくれた。
「希林さんとサン・セバスチャンへ行ったとき、バスに1時間くらい乗って、夜に隣町にある美味しい魚を食べさせてくれるレストランに行ったんです。サン・セバスチャンは美食の街だから、昼間はミシュランの星の付いたお店へ行ったんだけど、希林さんはあまりお気に召さなかった。シェフが出て来て「どうだ?」って聞くから、希林さんは「いじりすぎ!何を食べているんだかさっぱり分からない」って答えてね。夜に行ったところは、魚を炭で焼いて食べるというシンプルなお店。希林さんはおなかがいっぱいだからって最初は食べなかったのに、隣の人のお皿を見ているうちに「これ半分ちょうだい」って言い始めて、食べたらすごく気に入ったのね。とても美味しいって。そのバスは、映画祭が手配してくれたんだけど、希林さんが「東京からみんなでバスに乗って、熱海で美味しい魚を食べたり、東京物語のロケ地を見たり、そんなことも含めて東京国際映画祭っていえばいいのにねえ」と言っていたんです。そうだよなあって。だって、その美味しいお店はバスで1時間かかるから、もはやサン・セバスチャンではないわけです。東京を中心にすれば、まだまだやれることってあるはずなんですよね。まだ街の良さを生かしきれていないな……ということも感じています」
今年からは、メイン会場を六本木から日比谷、有楽町、銀座エリアへと移転。そして、17年ぶりのプログラマー交代による部門改変を実施し、昨年まで東京フィルメックスでプログラミング業務に携わってきた市山尚三氏が就任した。
「セレクションのラインナップを見て、だいぶ変わったなという印象は抱いていますが、実感するようになるのは何年か経ってからじゃないですかね。ただ、映画祭がコロナを経て変わらざるを得なくなったことは大変なことだっただろうし、ポジティブに受け止めるわけにもいかないだろうけれど、この映画祭にとって変化のきっかけになったんじゃないかな」
是枝監督の言う変化とは、フィルメックスと両者歩み寄って同時期開催という選択をしたことや、去年一度コンペティション部門を休止したことを指している。
「映画祭にとって、コンペって果たして何なのか。僕は東京国際映画祭には必要ないと思っていました。それは、コンペに意味がないのではなく、コンペを長らくやってきたのにもかかわらず、そこで受賞した監督たちと継続的な関係を構築出来ないまま放置して終わっている。それだと意味がない。コンペって作家を発見し、観客と出会わせ、その作家が育ったときに次の作品で戻ってきてもらい、更にその次には審査員として戻ってきてもらうという、時間をかけて循環させていくもの。お互いが「おかえり」「ただいま」と言い合える関係を持てる監督や役者を何人持っているかが、映画祭の財産だと思っている。そういう哲学でコンペを開催してこなかったから、もったいないなと思っていたんです。ただ、今回コンペのラインナップを見てみると、市山さんやシニア・プログラマーの石坂健治さんとの関係を踏まえたうえで出品しているなと感じられるものでした。そういうことが可能なのであれば、ぜひやっていった方がいいんじゃないかな。その効果が出るのは5年、10年先になると思いますが、そこまで踏ん張って続けてほしいですね」
取材に応じた是枝裕和監督
©藤井保
現在開催中の第34回東京国際映画祭で、国際交流基金との共催プログラムの一環として行っている「トークシリーズ@アジア交流ラウンジ」が好評を博している。アジアを含む世界各国・地域を代表する映画人と、第一線で活躍する日本の映画人が語り合うトークシリーズ。本企画の検討会議メンバーの中軸を担う是枝裕和監督に、企画意図はもちろんのこと、映画祭のあるべき姿についても話を聞いた。
是枝監督の映画祭デビューは、初監督作『幻の光』が金のオゼッラ賞を受賞した第52回ベネチア国際映画祭。その後、『DISTANCE』が第54回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初めて選出されてからは、カンヌの常連に。第57回に出品された『誰も知らない』では柳楽優弥に史上最年少、日本人では初めて最優秀男優賞をもたらした。2013年の第66回では『そして父になる』が審査員賞を戴冠し、18年の第71回では『万引き家族』が最高賞となるパルムドールに輝いた。世界中の映画祭を体感してきた是枝監督だからこそ、これまで何度となく愛のある提言を東京国際映画祭にしてきた。
そんな中で昨年から始まった「アジア交流ラウンジ」は、東京国際映画祭に新たな“風”を吹き込んでいる。昨年は、韓国映画『はちどり』のキム・ボラ監督と橋本愛の対談を皮切りに、「映画の未来と配信」と題して是枝監督と行定勲監督、マレーシアのリム・カーワイ監督、スターサンズの河村光庸社長、東宝の松岡宏泰常務、Netflixの坂本和隆コンテンツ・アクイジション部門ディレクターが一堂に会して語り合った回が大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。
「Netflixの坂本さんは、僕が声をかけました。それは現在、カンヌやベネチアを見ても揺れているから。映画ってなんだ? って。配信をどうとらえるのか……ということは、避けて通れない。それは、映画祭が自分たちで考え、哲学をちゃんと示すべき。ただ、日本は業界も含めて揺らがない。そこで、ああいう形で映画祭に配信のトップを呼んで刺激を与えるというのは大事なことだなと。和やかに話すだけではなく、意見を戦わす場も必要なんじゃないかと感じたんです。確かにあの回は、良かったんじゃないかな」
それから1年が経過し、Netflix、Amazon Prime Video、Disney+など配信プラットフォームの勢いは衰えず、テレビCMを目にすることも多い。新型コロナウイルスの感染拡大により、テレワークの推奨など世界中の人々のライフスタイルが大きく変わったことも、これらの普及を推し進めたともいえる。
「僕ら作り手にとっては、良い形で共存してもらうのがベスト。あえて脅威と言わせてもらうけれど、配信の脅威が迫ったとき、日本の映画業界は、この先も映画館で観る映画というものをどういう風に育て、守っていくのかを示すべきでした。ただ、コロナを経ても業界からはそういう声が出てこなかった。作り手の方はインディペンデントの皆さんが危機感を募らせて声を挙げたり、ミニシアターエイドの活動をやったり、それに映画と映画館を愛するファンの方たちも力強く応えてくれました。更に言えばNetflixはそれに関して資金援助しますという態度を示したのにもかかわらず映画業界はいったい……。僕が感じることではないかもしれないけれど、忸怩たる思いがあったので、そういうものを去年はぶつけてみたいという考えもありました」
言うは易く行うは難し、是枝監督は“行動”の人だ。問題提起することを厭わず、自らの言動で道を示す。アジア交流ラウンジを構築したのも、作品が繋いできた縁、映画祭が繋いできた縁がいかにかけがえのないものであるかを、後進に伝えるという意味合いも込められているのではないだろうか。
「東京国際映画祭にしかない魅力が何かと問われたとき、これまで僕は「今はない」と答え続けてきたわけですが、他のアジアの国と比べて日本映画の歴史って圧倒的に豊かだという事実があります。ヨーロッパへ行くと特に感じるのですが、本当に実に多くの観客が小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男の作品を観ている。100年もさかのぼってというのは、他のアジアの国の監督ではないこと。そのことは、映画祭側にも何度か伝えたことがありますし、もし往年の名優、たとえば若尾文子さんをゲストに呼んで特集上映を企画したら、「だったら行きたい!」と考える人は世界中にいるはずなんです。そういう歴史的視点を生かして、日本映画史の豊かさを東京国際映画祭で示していくというのは大事なことだと思います」
そう話す是枝監督の脳裏には、カンヌ国際映画祭で目撃した光景を忘れられないからだという。
「カンヌで『太陽がいっぱい』をアラン・ドロンと一緒に観るというイベントがあったのですが、すごく盛り上がるんですよ。自分たちがいま映画を撮れているのは誰のおかげなのかということを、映画人が歴史をさかのぼって示すことも大事だなと感じました。今どういうものが作られているか、これからどういう作り手を見つけていくのかという、現在と未来の視点に加えて、時代をさかのぼって豊かな歴史にきちんと目を向けていく。今までも全くなかったわけではないけれど、視野に入れていくことが欠けていたと思うんです。この映画祭でも予算を使って修復して上映したこともありましたし、松竹は予算を組んで溝口の作品を4Kデジタル修復している。僕もカンヌで『残菊物語』の上映に立ち会ったけれど、満席でしたから。そういうこともきちんと取り組んでいけば、それはこの映画祭の強みになっていくはずです」
さらに、18年に死去した樹木希林さんと参加したスペインのサン・セバスチャン国際映画祭でのひと時についても明かしてくれた。
「希林さんとサン・セバスチャンへ行ったとき、バスに1時間くらい乗って、夜に隣町にある美味しい魚を食べさせてくれるレストランに行ったんです。サン・セバスチャンは美食の街だから、昼間はミシュランの星の付いたお店へ行ったんだけど、希林さんはあまりお気に召さなかった。シェフが出て来て「どうだ?」って聞くから、希林さんは「いじりすぎ!何を食べているんだかさっぱり分からない」って答えてね。夜に行ったところは、魚を炭で焼いて食べるというシンプルなお店。希林さんはおなかがいっぱいだからって最初は食べなかったのに、隣の人のお皿を見ているうちに「これ半分ちょうだい」って言い始めて、食べたらすごく気に入ったのね。とても美味しいって。そのバスは、映画祭が手配してくれたんだけど、希林さんが「東京からみんなでバスに乗って、熱海で美味しい魚を食べたり、東京物語のロケ地を見たり、そんなことも含めて東京国際映画祭っていえばいいのにねえ」と言っていたんです。そうだよなあって。だって、その美味しいお店はバスで1時間かかるから、もはやサン・セバスチャンではないわけです。東京を中心にすれば、まだまだやれることってあるはずなんですよね。まだ街の良さを生かしきれていないな……ということも感じています」
今年からは、メイン会場を六本木から日比谷、有楽町、銀座エリアへと移転。そして、17年ぶりのプログラマー交代による部門改変を実施し、昨年まで東京フィルメックスでプログラミング業務に携わってきた市山尚三氏が就任した。
「セレクションのラインナップを見て、だいぶ変わったなという印象は抱いていますが、実感するようになるのは何年か経ってからじゃないですかね。ただ、映画祭がコロナを経て変わらざるを得なくなったことは大変なことだっただろうし、ポジティブに受け止めるわけにもいかないだろうけれど、この映画祭にとって変化のきっかけになったんじゃないかな」
是枝監督の言う変化とは、フィルメックスと両者歩み寄って同時期開催という選択をしたことや、去年一度コンペティション部門を休止したことを指している。
「映画祭にとって、コンペって果たして何なのか。僕は東京国際映画祭には必要ないと思っていました。それは、コンペに意味がないのではなく、コンペを長らくやってきたのにもかかわらず、そこで受賞した監督たちと継続的な関係を構築出来ないまま放置して終わっている。それだと意味がない。コンペって作家を発見し、観客と出会わせ、その作家が育ったときに次の作品で戻ってきてもらい、更にその次には審査員として戻ってきてもらうという、時間をかけて循環させていくもの。お互いが「おかえり」「ただいま」と言い合える関係を持てる監督や役者を何人持っているかが、映画祭の財産だと思っている。そういう哲学でコンペを開催してこなかったから、もったいないなと思っていたんです。ただ、今回コンペのラインナップを見てみると、市山さんやシニア・プログラマーの石坂健治さんとの関係を踏まえたうえで出品しているなと感じられるものでした。そういうことが可能なのであれば、ぜひやっていった方がいいんじゃないかな。その効果が出るのは5年、10年先になると思いますが、そこまで踏ん張って続けてほしいですね」